お出かけスポット検索
神奈川県への旅行・おでかけに役立つ観光スポットや遊び場情報を探せます。
条件を指定して絞り込み
-
横須賀市にある「湘南妙義」の別名をもつ山、鷹取山に彫られた巨大な弥勒菩薩尊像です。横須賀市在住の彫刻家、藤島茂氏が昭和35年から約1年かけて製作しました。像高は約8m、像幅約4.5mです。
-
清水製糸工場は明治時代に創業。天王森泉館は清水製糸場の本館として建設された、横浜市認定歴史的建造物です。
-
江戸時代に浦賀港の入り口に建っていた燈明堂の跡とその周辺の海岸を指定する史跡である。燈明堂は石垣の土台の上に建てられた二階建ての建物で、階下は番人小屋、階上に直径36.4cm、深さ12.2cmの銅製の燈明皿が置かれていた。一晩に燈心百筋とその菜種油一升が灯され、その光は4海里(7.4km)に達したという。経費は元禄3年(1690年)までは徳川幕府が賄っていたが、同4年からは東浦賀の干鰯問屋が負担するようになった。明治5年(1872年)4月に廃止されるまで、約220年間にわたって活躍した。
-
平安時代後期の武将源義家(八幡太郎)が見つけ詞に詠んだ山桜があり、その後「江戸見桜」と称されています。その他子どもたちがターザンごっこをしたといわれる「ターザンの木」、川崎市の緑地になった「末長熊の森緑地」があります。
-
川尻石器時代遺跡は縄文時代中期から晩期にかけての集落跡です。様々な種類の遺物とともに敷石住居などの礫石を多用した遺構もあります。
-
精進池近くにある元箱根石仏群の一部です。約700年前、鎌倉時代から室町時代前期にかけて数多くの石仏や石塔が造られました。これらの石仏・石塔の多くは、中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定されており、周辺一帯も同様に国の史跡に指定されています。(写真提供:photolibrary)
-
紅谷町公園の一角にあるお菊塚は、江戸時代の怪談話『番町皿屋敷』に登場するヒロイン「お菊」の墓跡で、公園にひっそりと建っています。今も賑わう故郷・平塚で、お菊は静かに眠っています。
-
鎌倉時代の曽我十郎・五郎の兄弟による父の敵討ちの様子を描き、日本三大敵討ちとしても知られる「曽我物語」。そのヒロインである「虎女」は大磯で暮らしたと言われ、「化粧をする際に使用した井戸」と言われているのがこの化粧井戸です。
-
旧東海道藤沢宿のにぎわいの拠点で、旧東海道6番目の宿場町であった藤沢の歴史や文化に触れ、人々が交流する場として2016年に開館しました。散策の際の休憩のほか、郷土資料の展示、藤沢宿のジオラマや当時の宿場を再現した3DCG体験できます。また、年間を通じて寄席などの催しをお楽しみいただけます。
-
名所の多い宿場町として、江戸時代大いににぎわった大磯宿。約1.3kmの道筋に、66軒の旅籠と小島・尾上・石井の3つの本陣が置かれました。
-
小原宿本陣は、神奈川県下26軒あった本陣で現存する唯一の建造物で、定紋のついた敷居の高い玄関がある、純日本風の豪壮な建物です。平成8年2月13日、県重要文化財に指定されました。現在の建造物の建造年数は定かではありませんが、約200年経過しているものと思われます。
-
久野にある古墳群は、古墳時代の後期に属する高塚式円墳の古墳としては県下有数のもので、120基程度の存在が推定されています。現在は、1号古墳、2号古墳、4号古墳及び15号古墳などが残っており、このうち4号古墳と15分古墳は発掘調査のあと石室を復元していて、一般の見学ができるようになっています。
-
発掘調査により、今から約1700年前、弥生時代から古墳時代の過渡期に造られた古墳群であることがわかりました。南関東における出現期古墳のあり方およびその時期の社会を考える上で重要と評価され、平成17年7月に国史跡に指定されました。見学の際は歩きやすい靴でお越しください。
-
秦野市の中央部を流れる水無川の中流域に位置し35基の古墳が発掘され、6基の古墳を保存しています。7世紀後半に造られたもので、すべてが円墳で古墳群としては県内でも最大級です。
-
1890(明治23)年、この場所にあった横浜電話交換局で、横浜と東京間及び横浜市内における電話交換業務が、日本で初めて開始されたことを示す記念碑です。
-
国指定史跡に指定されている仮粧坂は、鎌倉七口の1つで急峻な道が今も残る切通です。切通とは鎌倉と隣接地域との間の人の移動や物資の流通を盛んにするために、山や丘を切り開いて造られた道のことです。戦では切通を封鎖することで、鎌倉への敵の進入を防いだと考えられています。
-
横浜の開港以来外国人を狙った殺傷事件が多発したことを理由に、不審な浪士等を取り締まるために設置された関所跡です。(写真提供:photolibrary)
-
戦国時代の終わりに豊臣秀吉との小田原合戦に備え北条氏が作らせた総構の一部で、豊臣軍の本陣と向かい合う重要な場所でした。二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられています。
-
江戸時代中期(18世紀前半)頃に上和田地区の久田(くでん)集落に建てられ、市内に現存する中では最古の家屋である旧小川家主屋。そして江戸時代末期(19世紀中期)頃に下鶴間地区の公所(ぐぞ)集落に建てられた、養蚕農家の旧北島家主屋という、二棟の古民家を移築復元しています。また、古民家の周囲には草花や樹木が多数植えられ、季節毎に違った景色を楽しむことができます。
-
小田原の“なりわい”文化の発信拠点2025年8月、耐震補修工事を経て小田原宿なりわい交流館がリニューアルオープンします。小田原宿なりわい交流館は、かつて東海道の宿場町としてにぎわった小田原のまち並みにたたずむ文化拠点。建物は小田原の典型的な商家の造りである「出桁(だしげた)造り」の旧網問屋を再整備したもので、2022年には国の登録有形文化財にも指定されました。スタッフによる30分まち歩きが毎日開催され、東海道小田原宿の“なりわい”が息づく周辺地域の魅力や周辺のグルメスポット、物販店など小田原の魅力をたっぷり紹介します。
-
鈴鹿明神社東側の段丘下にある龍源院の裏手から湧き出す湧水。この湧水は、近くの鈴鹿明神社から縄文後期の遺跡が発掘され、この遺跡の水場が龍源院湧水のみであることから、鈴鹿遺跡の住人が生活用水として利用していたといわれています。明治24年頃から第二次世界大戦頃までは、わさび田として利用されており、現在もその名残をとどめています。また、明治35年以降には、養蚕で得た生糸の撚糸(ねんし)器具や、精米器具を動かすための水車の動力源としても利用されていました。
-
用水を供給するため、昭和16(1941)年に造られた久地円筒分水。平成10年に国の登録有形文化財となった久地円筒分水は、サイフォンの原理を応用して平瀬川の下をくぐり、円筒の切り口の角度で分水量を一定に調節するしくみです。(写真提供:photolibrary)
-
日本の詩人・小説家と知られる国木田独歩の有名な詩が刻まれた碑が設置されています。
-
県内でも珍しい前方後方墳の塚越古墳があり、古墳頂上に公園のシンボルツリーである桜の木があります。見晴らしも良く、市民の憩いのエリアとして幅広く利用されています。
-
史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設です。史跡田名向原遺跡は、発見された旧石器時代の住居状遺構から、人類の定住化の歴史を語る重要な遺跡として保存されており、平成11年1月に国の史跡指定を受けました。約2万年前の建物の跡がみられるのは、日本でここだけです。また、旧石器ハテナ館では旧石器時代を中心に縄文土器や古墳の副葬品などを展示しており、野外展示では旧石器時代の住居状遺構、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の小円墳が復元され、歴史や文化財について学ぶことができます。勾玉・土器・石器作りなどの体験事業を行っています。
-
能見堂は1661年~73年の間に領主であった久世大和守広之が再興した擲筆山地蔵院のことです。元禄時代、中国からの渡来僧、心越禅師が故郷の景色を偲んで、ここから見た金沢八ヵ所の勝景を漢詩に詠んだのが金沢八景の始まりと言い伝えられています。
-
横浜市磯子区岡村にある縄文・弥生・古墳時代のムラの跡です。遺跡は標高55メートルほどの小高い丘の、約10,000平方メートルの広さがある平坦な場所にあります。1966年に国の指定史跡となり、翌年三殿台考古館が開館して、遺跡とともに公開されています。横浜出身のユニット「ゆず」のCD「すみれ」ブックレットに登場したりもしています。
-
鎌倉から藤沢方面へ通じる切通道で、中世のやぐらなどがあり、狭く急峻な古道の様子がよく残されています。
-
別名、惣左衛門本陣と言われた181坪の建物で、幕末には14代将軍家茂が京に上る際に宿泊しました。明治23年(1890年)、詩人 佐藤惣之助がこの家で生まれ、大正から戦前にかけて活躍しました。
-
約700 年前鎌倉時代終わりから室町時代前期にかけて、旅ゆく人々を救う仏として信仰された地蔵菩薩を祀る多くの石仏や石塔が造られました。国の重要文化財に指定されています。
-
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」、歌人松尾芭蕉が故郷伊賀に向かう際に見送りにきた門人との別れを惜しみ、この八丁畷の地で読んだ句です。芭蕉が句を詠んだ地に建てられた句碑は少なく、大変貴重なものとされています。
-
江戸時代の宿場には、幕府関係者や大名を泊める宿として「本陣」があり、この本陣の補助的な役目を果たしたのが「脇本陣」と呼ばれる宿舎でした。平塚宿には本陣・脇本陣がそれぞれ一軒ずつありました。
-
江戸時代、三の丸には重臣の屋敷や藩の施設が置かれ、二の丸・御用米曲輪・南曲輪を大きく取り囲むように配置されていました。この三の丸には4つの出入り口が設けられており、そのうち、東の大手口、北の幸田口、南の箱根口は、堅牢な石垣で固めた桝形門となっていました。江戸時代初期の小田原城の大手口は箱根口でしたが、稲葉氏の時代に江戸に向く現在の場所に移されています。大手門跡の石垣の上には、大正時代に移設された時の鐘があり(現在の鐘は昭和28年製)、午前6時と午後6時に鐘を打ち、市民に時を知らせています。
-
東海道宿場町に置かれた高級旅館で、参勤交代の大名のほか、公家、公用の幕府役人などが宿泊したのが「本陣」と呼ばれる大旅館です。平塚宿本陣は、建坪163坪で座敷数が20あり、門・玄関・上段の間が取り付けられていたと言われています。
-
県立座間高等学校の北東側交差点角にある湧水。この湧水は、古くから周辺住民の飲料水として利用されてきましたが、現在でも野菜等の洗い水として利用されています。この湧水の名称については、生活のために必要な水を神様が恵んでくれた、神様が作ってくれた井戸という意味で神井戸(かめいど)と呼ばれています。現在は、昔の約1/10ほどの面積になっているといわれています。
-
喧騒を 抜けて静寂 秋の庵(いおり)国道沿いの賑やかさを背に一歩足を踏み入れれば、そこには江戸時代の空気がそのまま閉じ込められたような、静謐な時間が流れています。茅葺屋根の門をくぐると迎えてくれるのは、驚くほどの静かさと、手入れの行き届いた庭園。ここは、歌人・西行法師が「心なき 身にもあはれは 知られけり」と、しみじみとした情趣を詠んだ場所と伝えられており、実は「湘南」という言葉が生まれた文化の源流でもあります。 おすすめの過ごし方は、歴史を物語る句碑を眺めながら、ただゆっくりと深呼吸をすること。西行が立ち止まり、心を動かされたであろう庭の陰影に身を委ねるだけで、日々の忙しさで強張った心が不思議と解けていきます。毎年3月の「大磯西行祭」に足を運び、今も大切に守られている言葉の文化に触れるのも、この場所ならではの贅沢な体験です。 さらに、この歴史ある空間を「体験」として楽しめるのも鴫立庵の魅力。趣のある和室は、会議や趣味の集まりのために借りることができ、静寂の中で集中したい時に最適です。また、現在も俳句教室などが開かれており、日本三大俳諧道場という特別な舞台で、自らの言葉を紡ぐという知的な趣味を始めることもできます。 情報の波に疲れたときこそ、大磯の庵へ。先人たちが慈しんだ「あはれ」が息づく風景の中で、心に静かな余白を作ってみませんか。
-
源頼朝墓と伝わる石塔があり、かつて頼朝を弔った法華堂(墳墓堂)の跡地と推定されています。付近には北条義時を弔った法華堂の遺構も確認されており、合わせて国指定史跡に指定されています。
-
藤沢市ふじさわ宿交流館では、東海道五十三次や藤沢宿に関する資料の展示やご案内、講座等のイベントも開催しています。藤沢宿は江戸時代に整備された東海道の宿場町です。日本橋から数えて 6 番目の宿場町に位置し、その範囲は遊行寺坂の江戸方見付から京方見付までの間の12里17間(約 1340m)です。時宗総本山である遊行寺を中心に、周辺には往時の面影をしのぶ社寺が多く残されています。また、明治期になると旧藤沢宿地区は問屋街に転身して、地の利を活かして流通の中心地として賑わいをみせます。現在も明治・大正期に建築された店舗や蔵などが歴史的建造物として点在しています。
-
県指定史跡でもある子母口貝塚は、多摩丘陵で最も古い縄文時代早期後半(約7000年前)の貝塚で「子母口式土器」の標識遺跡としても知られています。貝塚とは古代の人のゴミ捨て場で、当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったものでもあります。
-
古墳時代の横穴墓群で、現在確認できるのは 5 基ほどです。