お出かけスポット検索
神奈川県への旅行・おでかけに役立つ観光スポットや遊び場情報を探せます。
条件を指定して絞り込み
-
大日堂は、奈良県の東大寺大仏造営に尽力した行基によって、742年に開かれたと伝えられています。本堂には高さ175cmの「大日如来像」があり、県の重要文化財に指定されています。
-
1278年に創建された時宗の寺院で、一遍上人がその基礎を築き、作阿上人が開山したとされています。光触寺は以来およそ700年、念仏の道場となって今日に及んでいます。
-
真鶴町立遠藤貝類博物館は、貝類研究家として名高い遠藤晴雄氏が生涯をかけて収集したコレクションのなかから常設展示を行っています。日本各地、さらには世界の海で収集されたコレクションは、色も形もさまざまで不思議な魅力を放ち、私たちを魅了します。博物館は、神奈川県立真鶴半島自然公園にあり、豊かな海の自然を満喫できます。
-
数多くの文化財を保有する平安時代(829 年)創建の歴史ある寺院です。本堂ではこれまで多くの文化的イベントも行われています。国登録有形文化財の庫裡では会議、レセプション等、また境内では野外イベントも可能です。
-
元来、この地は入海の瀬戸(狭い海峡)のため、干満時に急流となり海上交通の難所でした。そのため、5〜6世紀の頃から海神を祀っていたとされています。源頼朝が平家追討の挙兵に御神恩のあったことを感謝して、伊豆三島明神を勧請したのが瀬戸神社の始まりと言われています。
-
麻生不動院の正式名称は「明王山不動院般若坊」(みょうおうざん・ふどういん・はんにゃぼう)といいます。無病息災や家内安全を願うダルマ市が有名です。
-
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」、歌人松尾芭蕉が故郷伊賀に向かう際に見送りにきた門人との別れを惜しみ、この八丁畷の地で読んだ句です。芭蕉が句を詠んだ地に建てられた句碑は少なく、大変貴重なものとされています。
-
天徳寺は、石橋山合戦で活躍した真田与一義忠がいた場所といわれています。その後、戦国時代前半に、相模国守護代上田氏の居城として本格的に築城され、当時は相模国の重要拠点の一つだったとされています。
-
大磯町郷土資料館には、大磯と周辺地域にまつわる考古・歴史・民俗・自然の4分野の常設展示と、年3~5回の特別展・企画展等を行っています。
-
茅ヶ崎ゆかりの人物や作品を通して、様々な考え方や生き方、地域の歴史や風土についての知識を深めることができる施設です。展示館では茅ヶ崎にゆかりのある人々やその作品を展示し、多目的館では、ワークショップなどを開催しています。
-
江戸時代の宿場には、幕府関係者や大名を泊める宿として「本陣」があり、この本陣の補助的な役目を果たしたのが「脇本陣」と呼ばれる宿舎でした。平塚宿には本陣・脇本陣がそれぞれ一軒ずつありました。
-
孝道山本仏殿は、国際港都・横浜の市街地やみなとみらい地区を見下ろす孝道山上にある仏教寺院です。春には250本の桜が咲き誇り、山頂にそびえ立つ二重の塔・仏舎利殿をはじめ、本堂ほか諸堂が境内に点在しています。
-
北村透谷、牧野信一、尾崎一雄、川崎長太郎らの小田原出身の作家のほか、谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾ら小田原で暮らし、創作にいそしんだゆかりの作家の資料を展示しています。スペイン風洋館の建物は元宮内大臣・田中光顕の別邸(国登録有形文化財)で最晩年の曾根達蔵が設計を手がけました。
-
口碑によれば大阪落城当時、豊臣氏の遺臣此の地に来住して牛頭天王を奉斎、町屋村の鎮守と仰ぎまつって夏の祇園天王祭の創始をなしたと伝わっています。(神奈川県神社誌より)
-
石段を登りきると、三浦半島を一望できます。1502年に創業され、古くより曹洞宗の修行道場として知られています。
-
浄永寺は、神奈川県小田原市城山にある日蓮宗の寺院です。
-
江戸時代、三の丸には重臣の屋敷や藩の施設が置かれ、二の丸・御用米曲輪・南曲輪を大きく取り囲むように配置されていました。この三の丸には4つの出入り口が設けられており、そのうち、東の大手口、北の幸田口、南の箱根口は、堅牢な石垣で固めた桝形門となっていました。江戸時代初期の小田原城の大手口は箱根口でしたが、稲葉氏の時代に江戸に向く現在の場所に移されています。大手門跡の石垣の上には、大正時代に移設された時の鐘があり(現在の鐘は昭和28年製)、午前6時と午後6時に鐘を打ち、市民に時を知らせています。
-
藤沢市に位置する時宗の寺院です。眞徳寺の本堂天井には、当寺住職でもあった画家「吉川清(喜善師)」作の花鳥が描かれています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
-
山王神社は、藤沢宿最初の鎮守で、寛永年中(1624-44)現在の藤沢高校跡あたりに勧請され、安永年中にこの地に移されました。境内裏にまわると庚申塔が人恋しそうにたたずんでいます。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
-
鶴岡八幡宮の入口に建てられているのが三ノ鳥居です。
-
大沢川上流にある弁財天です。雨乞いのために祭られたと言われています。
-
神奈川県小田原市にある東寺 真言密教のお寺で、小田原八福神の1つです。400年以上前に創建されたと言われています。
-
親鸞聖人の門弟 信楽房(しんぎょうぼう)が開基の寺。親鸞聖人の子 善鸞が東寺を聖人の旧跡と慕って滞在し、当地で往生したといい、墓所があります。
-
若手アーティストの創作活動に対する支援や様々な企画展、ワークショップ、講座などを開催しています。アートの新たな可能性を見出し、地域とのつながりを深めながら活動しています。
-
東海道宿場町に置かれた高級旅館で、参勤交代の大名のほか、公家、公用の幕府役人などが宿泊したのが「本陣」と呼ばれる大旅館です。平塚宿本陣は、建坪163坪で座敷数が20あり、門・玄関・上段の間が取り付けられていたと言われています。
-
県立座間高等学校の北東側交差点角にある湧水。この湧水は、古くから周辺住民の飲料水として利用されてきましたが、現在でも野菜等の洗い水として利用されています。この湧水の名称については、生活のために必要な水を神様が恵んでくれた、神様が作ってくれた井戸という意味で神井戸(かめいど)と呼ばれています。現在は、昔の約1/10ほどの面積になっているといわれています。
-
喧騒を 抜けて静寂 秋の庵(いおり)国道沿いの賑やかさを背に一歩足を踏み入れれば、そこには江戸時代の空気がそのまま閉じ込められたような、静謐な時間が流れています。茅葺屋根の門をくぐると迎えてくれるのは、驚くほどの静かさと、手入れの行き届いた庭園。ここは、歌人・西行法師が「心なき 身にもあはれは 知られけり」と、しみじみとした情趣を詠んだ場所と伝えられており、実は「湘南」という言葉が生まれた文化の源流でもあります。 おすすめの過ごし方は、歴史を物語る句碑を眺めながら、ただゆっくりと深呼吸をすること。西行が立ち止まり、心を動かされたであろう庭の陰影に身を委ねるだけで、日々の忙しさで強張った心が不思議と解けていきます。毎年3月の「大磯西行祭」に足を運び、今も大切に守られている言葉の文化に触れるのも、この場所ならではの贅沢な体験です。 さらに、この歴史ある空間を「体験」として楽しめるのも鴫立庵の魅力。趣のある和室は、会議や趣味の集まりのために借りることができ、静寂の中で集中したい時に最適です。また、現在も俳句教室などが開かれており、日本三大俳諧道場という特別な舞台で、自らの言葉を紡ぐという知的な趣味を始めることもできます。 情報の波に疲れたときこそ、大磯の庵へ。先人たちが慈しんだ「あはれ」が息づく風景の中で、心に静かな余白を作ってみませんか。
-
源頼朝墓と伝わる石塔があり、かつて頼朝を弔った法華堂(墳墓堂)の跡地と推定されています。付近には北条義時を弔った法華堂の遺構も確認されており、合わせて国指定史跡に指定されています。
-
藤沢市ふじさわ宿交流館では、東海道五十三次や藤沢宿に関する資料の展示やご案内、講座等のイベントも開催しています。藤沢宿は江戸時代に整備された東海道の宿場町です。日本橋から数えて 6 番目の宿場町に位置し、その範囲は遊行寺坂の江戸方見付から京方見付までの間の12里17間(約 1340m)です。時宗総本山である遊行寺を中心に、周辺には往時の面影をしのぶ社寺が多く残されています。また、明治期になると旧藤沢宿地区は問屋街に転身して、地の利を活かして流通の中心地として賑わいをみせます。現在も明治・大正期に建築された店舗や蔵などが歴史的建造物として点在しています。
-
県指定史跡でもある子母口貝塚は、多摩丘陵で最も古い縄文時代早期後半(約7000年前)の貝塚で「子母口式土器」の標識遺跡としても知られています。貝塚とは古代の人のゴミ捨て場で、当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったものでもあります。
-
古墳時代の横穴墓群で、現在確認できるのは 5 基ほどです。
-
北条氏は、豊臣秀吉との合戦に備え、小田原城とその城下を囲う空堀を造りました。この「小峯御鐘ノ台大堀切」は、本丸へと続く八幡山丘陵の尾根を分断して構築されました。
-
精進池から少し離れた、芦之湯側に行った国道1号線沿いにある3基の石造五輪塔です。国の重要文化財に指定されています。
-
神奈川県小田原市にある曹洞宗のお寺で、小田原八福神の1つです。
-
豊臣秀吉による小田原攻めに対して北条氏が築いた総構の一部です。小田原城総構の中でも低地部にある遺跡として、貴重なものです。土塁の外側には渋取川を配し、堀としていました。
-
藤沢市に鎮座する神社です。御所見地区で最も古い神社として歴史を重ねてきました。創建時期は不明ですが、鎌倉時代には、時の執権北条貞時によって社殿が寄進されたこともあります。
-
入口大鳥居右にある高来神社の石碑は徳川頼倫候、本殿神額は樺山資紀の麗筆です。江戸時代には参勤交代の大名が下馬して参詣したと伝えられています。
-
旧東海道をややそれた「平塚の塚緑地」にある、「平塚の碑」です。一説では、ここが「平塚」の地名の由来の場所とされています。言い伝えによると、平政子という方がこの地で亡くなり、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らであったことから、里人がそれを「ひらつか」と呼び、これが地名となったといわれています。
-
明治の文豪、徳富蘆花ゆかりの地(桜山)に設けられ、逗子市の市制30周年を記念して昭和59年に公園として開園しました。