お出かけスポット検索
神奈川県への旅行・おでかけに役立つ観光スポットや遊び場情報を探せます。
条件を指定して絞り込み
-
大正から昭和にかけ歌人・小説家として活躍した岡本かの子を記念し昭和37年に制作された《誇り》の台座には、「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれています。また、かの子の業績を讃える亀井勝一郎の文を川端康成の書によって刻んだ碑もあります。
-
眞宗寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。境内正面にはギリシャ神殿風の本堂、高台には黄金に輝く川崎大佛合祀墓があります。そして右手丘陵の中腹には鐘楼堂、池田満寿夫画伯の遺作となった梵鐘「しあわせの鐘」があります。
-
江戸時代は文字どおり大きな石橋があり、脇街道の「溝の口・二子宿」として繁栄していました。
-
明治時代の小田原出身の詩人、井上康文の「梅」の一節が刻まれた石碑です。
-
三浦半島を本拠に相模國を治めた三浦氏の最後の武将である三浦義意公をお祀りする神社。永正17年(1520年)創建の古社。小田原城主であった北條氏綱公の意向により居神大明神として祀られたと言われています。
-
江の島道から民家の軒をぬって石段を左に昇った場所に白山神社はあります。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
-
兄源頼朝の勘気を蒙った義経は、1189年に奥州衣川館で自害しました。首級は腰越で曝されたあと片瀬の浜に捨てられたが、泥にまみれたまま亀に背負われ境川をのぼり藤沢の里にたどり着きました。哀れに思った里人が井戸で首を洗い清め弔うため首塚を作ったと伝えられています。
-
江戸赤坂御門を起点として、雨乞いで有名な大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)までの道をいいます。東海道と甲州街道の間を江戸へ向かう脇往還(五街道以外の支街道で、休泊機能の備わった道)として、「厚木街道」「矢倉沢往還」等とも呼ばれてきました。
-
神奈川県小田原市にある日蓮宗のお寺で、小田原八福神の1つです。小田原は戦国時代より城下町として栄え、歴史と文化を感じる史跡があふれる町です。蓮船寺は戦国時代の末期に小田原北條氏一門、井出氏の開基により創建され、400年以上の歴史が続いています。
-
北部第二水再生センターは鶴見川河口の東側に位置しています。主に、鶴見区のJR東海道線の南東側(東京湾側)を処理区として、水洗化の促進、浸水対策及び公共水域の水質保全等を目的に、昭和59年から稼動し24時間休みなく稼動しています。
-
下鶴間ふるさと館には、市指定重要文化財の旧小倉家住宅の母屋と土蔵が復元されています。母屋は安政3年(1856)に建築されたもので、宿場の商家建築として県内でも数少ない建物です。
-
旧東海道沿いの、江戸側の出入り口にあたる「江戸見附」から、京側の「京方見附」の間の約1kmにわたり広がっていた平塚宿。江戸口見附は、明治初期の駐日イタリア公使のバルバラーニ伯爵が母国に持ち帰った写真をもとに復元されました。
-
川崎市大山街道ふるさと館では、大山街道や高津地域にかかわる歴史・民俗などに関する資料を展示しています。展示室では企画展(年4~5回)または常設展を開催しています。
-
吉野宿(よしのじゅく)は、江戸時代初期に定められた五街道「甲州街道(道中)」の宿場でした。「吉野宿ふじや」は旅籠「藤屋」として営まれていました。現在の建物は、明治29年の大火で焼失後、明治30年頃に建てられたもので、平成26年4月に市登録文化財に登録されました。建物内には、養蚕や炭焼に関する資料などが展示されています。
-
当麻は古くからの交通の要所で、昭和橋のたもとには、対岸の依知と結ぶ渡し船がありました。特に大山参りが盛んになってからは、当麻の渡しを利用する人が増え、当麻は宿場としてもにぎわいました。
-
自然をより感じながらゆっくりと過ごすことができます。山門から本堂までの間の前庭はとても開放的で広々としており、そこにはユキヤナギ、サザンカ、スイセンなどが植えられ、四季折々の花を観賞できます。
-
五穀豊穣・商売繁盛、地域安全、家内安全などのご利益があるとされています。
-
丹沢の峠、いより峠にある不動明王は、以前は道標の役割があったと言われています。
-
徳川家康の忠臣であった小田原城主大久保忠世公が建立したお寺です。
-
約700年前、鎌倉時代から室町時代前期にかけて数多くの石仏や石塔が造られました。これら石仏・石塔の多くは、中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定され、また、周辺一帯も同様に国の史跡に指定されています。(写真提供:photolibrary)
-
エコ暮らし環境館は資源循環や温暖化対策、自然共生について 楽しく学ぶことができる施設です。定期的に各種イベントも開催しています。
-
太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、JR二宮駅(当時国鉄)周辺にはP51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。二度と戦争があってはならないと、永遠の平和を願う人々の浄財によって昭和56年(1981年)、二宮駅南口に、この像は建てられました。
-
川崎市は、横穴墓(おうけつぼ)の密集地帯です。古墳が主に盛り土によって築造されるのに対して、横穴墓は丘陵の斜面に文字通り、横穴を掘った形態のお墓です。7世紀の飛鳥時代に作られました。現在安全対策のため、横穴墓の中に入れません。
-
相模川自然の村公園内にある「相模原市古民家園」には、江戸時代中期に建てられたと推定される「旧青柳寺庫裡」が移築・復原されています。旧青柳寺庫裡は神奈川県指定重要文化財に指定されています(昭和56年7月17日指定)。
-
「NHKみんなのうた」をはじめ、子供たちに向けた愛情あふれる作品で知られる小黒恵子氏の楽曲数やレコードなどが展示されています。
-
三ノ鳥居をくぐり正面にみえる石造りの反橋を太鼓橋という。1182年の建立で、東西に分かれる源平池の中央にかかっている。
-
小字でいう宮根(みやね)にあり、一色の氏神。大日霊貴命(おおひるめのみこと)をまつっています。例祭日は7月15日・16日。戦前は毎月1日・15日に、平和と氏子の健康、出征兵士の武運長久を祈る祈願祭が行われ、住民や近郷からの参拝者も多かったとされています。
-
早野にある戒翁寺近くの御堂山(おどやま)に造立されている、土地の人から「殿様の墓」といわれる石造五輪塔(ごりんとう)です。
-
かつては排水路を横断するように架かっていた橋ですが、昭和6年頃に水路が埋められたため、現在は親柱だけが交差点脇の歩道に保存されています。
-
伊勢原市にある神社。上粕屋神社の旧称は「山王社」で、江戸時代の地誌『新編相模国風土記稿』には、上粕屋村の「山王社」と記載があります。
-
2010年に柿生中学校の改築に合わせ、同中学校内に開設されました。旧柿生村10カ村と岡上村の「郷土史料館」という位置づけで、郷土の文化を守り、地域に展示公開することにより、地元の先人の足跡を今に残す施設となっています。
-
今から約700年前の鎌倉時代後期に建てられた石造の宝篋印塔で、国の史跡と重要文化財に指定されています。この塔が建てられた精進池(しょうじんがいけ)周辺は、当時京と鎌倉を結ぶ道路の箱根越えのルートであり、厳しい山越えの道と、ところどころで噴煙は噴き出す荒涼たる風景からこのあたりは「地獄」と恐れられ、地蔵信仰の霊地となりました。精進池の周りにある石仏や石塔はほとんどが鎌倉時代後期にこうした地蔵信仰の中から建てられたもので、多くのお地蔵さんに見守られるようにして、多くの旅人が厳しい箱根越えの道を往ったのでしょう。
-
1階は相模国分寺の模型や秋葉山古墳群の資料、市内の遺跡で発掘された土器などをはじめ、海老名の歴史に関する資料を展示しています。2階は民俗資料を展示しています。
-
鎌倉幕府3代将軍の源実朝は1219年甥の公暁(くぎょう)により暗殺されました。すぐに公暁は三浦氏の家来により討ち取られ、持っていた実朝公の御首は、その家来により秦野のこの地に密かに運ばれ、埋葬されたといわれています。塚の近くには歌人として有名だった実朝の歌碑があり、毎年11月23日には「実朝まつり」が開催され、近くの金剛寺により法要が行われています。
-
平塚八景のひとつであり、坂東三十三カ所霊場第7番札所でもあります。 金目観音の厨子はとても価値があるもので、国の重要文化財に指定されています。県・市の指定文化財も多く存在します。
-
綾瀬駅から徒歩10分のところに位置する真言宗のお寺です。
-
1884年、川崎大師(厄除け大師)から分神された神社で、疫病除けの神が祀られています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
-
800年以上の歴史を持つ寺。坐禅と写経は都合の良い日時に予約ができ、初めての体験者も丁寧に指導してくれます。英語での坐禅の解説が可能です。
-
かつての炭問屋、藤屋の跡地です。江戸時代、周辺農家で焼かれた炭は黒川炭と呼ばれ、江戸に出荷されていました。当時、木炭の輸送は水上輸送が主流でしたが、黒川炭は江戸に近いため、仲買問屋を通じて、江戸に陸送されていました。
-
この橋の袂のある石碑の向かいより、大山道に入ります。