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歴史と自然が織りなす美しさ ―紅枝垂れ梅の古木と天嶽院―【花のコラム】

歴史と自然が織りなす美しさ ―紅枝垂れ梅の古木と天嶽院―【花のコラム】

藤沢市村岡は、坂東八平氏の祖である平良文(たいらのよしぶみ)が居住した歴史ある地です。この地には、梅や桜といった四季折々の花木、紅葉、そして回廊を持つ七堂伽藍が訪れる人々を魅了する古刹、天嶽院(てんがくいん)があります。

■紹介するスポット
天嶽院(功德山早雲禪寺天嶽院)

※本コラムは、かながわガイド協議会構成団体である「江の島・藤沢ガイドクラブ」より寄稿いただきました。

村岡の歴史

藤沢市の東端に位置する村岡は、相模湾の美しい眺望と西に富士山を望む、小高い丘陵が続く地域です。縄文時代や弥生時代からの遺跡が数多く発見され、古くから人々が住んでいたことがうかがえます。10世紀前半、京都から移り住んだ武将・平良文は、勇猛な武家集団である坂東八平氏の祖となりました。その子孫である鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)がこの一帯に田畑を開きました。以後、村岡は典型的な農村として続いていましたが、昭和40年代から工場進出や宅地化が進みました。

樹齢200年の紅枝垂れ梅

天嶽院開山堂へと続く石段を登ると、樹齢200年と伝えられる紅枝垂れ梅が迎えてくれます。毎年春の訪れとともに鮮やかな花を咲かせ、その力強い幹と優美に垂れ下がる花は、訪れる人々の心を癒してくれます。

天嶽院の由来とゆかりのある花木

かつてこの地には小さな不動堂があり、源頼朝が大願成就を祈願したと伝えられています。その縁から、山門前には鎌倉段葛(だんかずら)改修前の桜が植えられています。15世紀末に北条早雲がこの堂を整備し、曹洞宗の天嶽院が創建されました。北条氏の滅亡後は徳川家康が引き継ぎ、30石の朱印地を授けました。家康の御手植えと伝わる梅の木もあります。天嶽院は曹洞宗の名刹として総本山総持寺の移転候補に選ばれたこともある由緒あるお寺です。幕末には大火で伽藍のほとんどを失いましたが、昭和から平成にかけて現在の伽藍が再建され、往時の姿を偲ばせています。

天嶽院境内の見どころ

天嶽院の境内は四季折々の美しい風景に彩られます。春には、開山堂横の紅枝垂れ梅、庫裏の前の白梅、山門前の八幡桜と玉縄桜、ツツジが境内を華やかに咲き誇ります。夏には、僧堂横の斜面に広がるアジサイや、深緑に覆われた参道、杉林に続く苔の美しさが際立ちます。そして、秋には参道に紅葉のトンネルが出現し、訪れる人々を魅了します。境内には水戸黄門が寄贈した茅葺の山門もあり、室町時代の建物を原型に再建された伽藍が、歴史の息吹を感じさせます。

天嶽院周辺を散策してみよう

天嶽院の境内をめぐりながら、季節の花を楽しんでみましょう。裏の丘を一周する通路からは、驚くほど大きな富士山の姿が一望できます。少し足を延ばせば、平良文の墓がある二伝寺(にでんじ)や、彼の居城跡である村岡城址も散策可能です。
さらに、この地域ではナウマンゾウの化石も発見されています。1975年と80年に、村岡地区の宅地造成工事の際に発掘されたこの化石は、体高2.4mの雄と考えられています。頭骨以外の全身骨格が見つかり、現在は神奈川県立生命の星地球博物館に所蔵されています。このナウマンゾウ化石は、特に優れた全身骨格化石として知られており、多くの博物館にそのレプリカが展示されているほどです。

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