小田原城花ごよみ【花のコラム】
小田原城祉公園はウメ・桜・藤・ツツジ・花菖蒲・あじさい・ハス・キクと年間を通して季節の花々を鑑賞できる名所として多くの人々が訪れる人気の観光地です。
■紹介するスポット
小田原城祉公園
※本コラムは、かながわガイド協議会構成団体である「NPO法人小田原ガイド協会」より寄稿いただきました。
1月~2月 ウメ
小田原北条氏が軍の常備食として、梅干作りを奨励したとも伝えられている。本格的な梅の産地化が図られてきたのは、江戸時代後期。花の観賞と兵食用とするため、当時の小田原藩主大久保忠真は城下や寺院、田畑に梅栽培を奨励し、全国から優良品種を集めた。これが今の「小田原梅」の基礎を築いたとされており、小田原市の市章には梅の花が用いられている。小田原城祉公園の250本の梅樹が小田原梅まつりに彩りを添え、小田原に春の訪れを感じさせている。
3月~4月 桜
小田原城の堀端周辺は、春になると通りの桜並木が満開になる。この風景が小田原に残っているのは、明治末期から昭和の初めまで桜を植えたり、ボンボリを下げ桜まつりをはじめるなどの様々な活動を行った小田原保勝会の功績である。明治37年に小田原小学校男子同窓会員を中心に結成し、名所旧跡の保護や、景観美化にも積極的に取り組んだ記録が残っている。活動は大正12年の関東大震災を機に衰え始めたが、昭和2年に小田原城外堀の埋め立て工事が小田原町会で決議された際に、外堀埋立反対同盟を組織して熱心な活動を展開。その結果もあり外堀は埋め立てることなく当時の姿を今に伝えている。小田原城址公園はさくら名所100選にも選ばれている。
4月~5月 藤
小田原藩主大久保公が愛した鉢植えのノダフジは小田原城廃城後、市内某所に引き取られ小田原の名勝になっていた。大正天皇が皇太子の頃、御用邸にご来臨のおり、馬で町中を散策中に、馬が急に藤の下に駆け込み花を散らせてしまった。皇太子は「みごとな花に心なきことよ」と感嘆されたといわれている。以来この藤を「御感の藤」と呼ぶようになった。この「御感の藤」は大正11年に小田原保勝会の尽力で現在お茶壺端のたもとに移され、ゴールデンウィークの時期に人々を楽しませている。かながわの名木100選にも選ばれている。
5月~6月 アジサイ・花菖蒲
毎年6月頃に開催される「小田原城あじさい花菖蒲まつり」には2つの市民団体がおおいに貢献している。『花菖蒲花がら摘みボランティア』は平成11年に近隣の仲間があつまり結成された。花菖蒲の時期に天候にかかわりなく早朝5時から約1万株の花菖蒲の花がら摘み作業を行い、一番良い状態で来場客に見てもらいたいと作業に励んでいる。『小田原城花育成ボランティア』は平成25年に市民の要望で結成され、花菖蒲の株分けやあじさいの選定手入れの他、年間を通じ公園内の清掃や除草の美化作業をおこなっている。この2つのボランティアの力により、見ごろの時期には会員が手入れをするあじさいと花菖蒲の競演を楽しみに、多くの市民や観光客が小田原城に訪れている。
7月~8月 ハス
小田原城址公園の南曲輪南堀に群生する大賀ハスは、千葉県検見川の落合遺跡で発掘された2,000年前のハスの実を発芽させ、その一部を1979年に移植したもの。絶滅したと思われていたハスが泥中から発芽しお堀を埋め尽くすほどに育成している。ハスの花は3回開き、4日目の正午には花弁が散り花托(かたく)と呼ばれる状態になる。泥の中から次々と新しいつぼみを伸ばし、ピンク色の端正な花を咲かせる。日の出に花を開き午後には閉じるので観賞は午前中が良い。