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江の島岩屋

江の島岩屋

ミツウロコのルーツは江の島の岩屋にあり!

江の島の奥、稚児が淵に向かう急な階段をおりて、赤い手すりで整備された歩道を岩場伝いに回ると、屏風のような岸壁に穿たれた海蝕洞が見えてきます。今回ご案内するのは、この「岩屋」と呼ばれるパワースポットです。

室町時代に書き写されたという『江嶋縁起』によれば、「欽明天皇13年(552)、天女と童子そして風神雷神等の神々が空から石を降らせ、海から砂を吹き出させて江の島を誕生させた。天女は島の金窟に降り弁才天となる。
近くの沼に棲んで悪行を重ねていた五頭龍が天女に魅せられて恋をし、天女に諭されて人々を災難から守る神となった・・・」というのです。
その後は様々な人がここを訪れ修行の場としました。波濤の押し寄せる岩窟での修行は厳しいものであったに違いなく、信仰を求める人々にとっては何物にも代えがたい空間であったことでしょう。

岩屋に入り、まず江の島の伝説を解説したパネルを横に見て、さらに進んだ先、ほの暗い空間の所々に灯される明かりの中に弁才天や、この岩屋で修行したと伝えられている弘法大師そして伝説の龍・・・といった石造物が浮かび上がって見えてきます。この神秘的な空間にいると、その昔多くの人たちが籠り強い力を得ることになったパワースポットであることを改めて感じることができるはずです。

日蓮の寝姿石がある第一岩屋の奥は、富士山の鳴沢氷穴にも繋がるという言い伝えもあるのです。

そして『太平記』という本では北条時政が参籠し、一族繁栄のきっかけにもなったことが描かれています。岩屋に籠り、満願の夜赤い袴で裏が柳色の衣を着た美女が現れ「汝の前世は箱根の法師、善根により再びこの世に生まれたから、子孫永く日本の主となって栄えるだろう」と告げ、大蛇となって海中に消え、その跡を見ると大きな鱗が三枚落ちていたので、時政は喜びその鱗を北条の旗に押し付けて三ツ鱗紋とした・・・というのです。この美女は弁才天、大蛇は龍、北条氏のミツウロコ紋は、これがルーツとなったのでした。今でも江の島を訪れる人は、様々な龍の造り物やミツウロコの印を目にすることができます。

この北条時政は「鎌倉殿」となった源頼朝の妻・政子の父、そして初代執権として一族の繁栄を築いた武将なのです。大河ドラマ「鎌倉殿と十三人」でも重要な役割を果たす人物ですね。
ところで、多くの皆さんが江島の弁財天として思い浮かべるのはあの琵琶を奏でる美しい弁天様「妙音弁財天」だと思います。しかし、国の重要文化財に指定されている「八臂弁財天」は、剣も携えていますので鎌倉殿の時代にはもっぱら、この像が戦勝祈願だったのかもしれません。
そうした歴史の舞台であった江の島の岩屋ですが、前に拡がる波食台は釣りのメッカにもなっています。お天気の良い日には富士山の眺めも抜群ですよ。

記事提供:江の島・藤沢ガイドクラブ

(記事公開日:2021/12/27)

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