寿福寺
著名人の墓も!北条政子が夫・頼朝を弔って創建した寿福寺
鎌倉には葛原ヶ原大仏ハイキングコースがあるが、中間地点の葛原岡神社の分岐点から少し行くと源氏山公園につきます。ここには源頼朝の大きな座像があり、休日などは、いつもハイカー等の休憩で賑わっています。特に春にはサクラ、秋にはモミジが楽しめます。
この源氏山は平安後期の奥州地方でおきた後三年の役(1083-87)に源義家(八幡太郎)がこの場所で源氏の白旗を立て、戦勝を祈ったことから「源氏山」とか「旗立山」と言われています。
この源氏山の麓が寿福寺で、向かうには傾斜がきつく狭い山道を注意しながら歩くと12,3分くらいで着くでしょう。また、この場所は鎌倉駅西口から北鎌倉方面に歩くと左側に約10分で到着します。
この地付近は、鎌倉幕府を創建した頼朝の父、義朝の屋敷跡が在った場所といわれ、先祖の地の鎌倉入りを果たした頼朝がここに本拠地して館を建てようとしたが、義朝の菩提を弔うお堂を建てていたこと、また幕府を構えるには少し土地が狭いことで、別の地の鎌倉八幡宮近くの大蔵に幕府を開きました。
二度も宋に渡り我が国に禅をひろめ、茶の文化を普及させ「喫茶養生記」を記した明庵栄西禅師をこの源氏の由緒ある当地に招き開山とし、頼朝の夫人・北条政子が夫の菩提を弔い死後の翌年正治2年(1200)創建したのが寿福寺です。
源家にゆかりの寿福寺は幾つかの塔頭がある大寺でしたが、度重なる災難に遭い現状となりましたが、臨済宗建長寺派の寺院で「亀谷山寿福金剛寺」の名称で、禅宗の寺挌を表す鎌倉五山の三位の寺です。総門から中門に至る少し長い桂敷き石畳の参道が真っ直ぐ伸びて、両脇には高い木々が参道を囲むように並び、四季折々の風景が変わる素晴らしい魅力ある参道のひとつになっています。中門から奥は非公開で特別日(正月、五月ゴールデンウイーク)以外には入れません。この奥には樹木に囲まれた仏殿があり、天然記念物のビャクシンの大木等や庫裏、鐘楼があります。
仏殿にある本尊は脱活乾漆造釈迦如来坐像で籠釈迦と呼ばれています、脇侍は木造文殊菩薩と鎌倉十三仏の一つの普賢菩薩像、また明治の神仏分離より鶴岡八幡宮から移された仁王像等あり、またその他は鎌倉国宝館に寄託されています。
木造地堂菩薩立像仏像(国重文)、銅造薬師如来像(国重文)等もあります。墓地は寺の裏山の麓にあり、中門に入らず横の道を行き寺の外に出て、坂をあがり階段を上がれば墓地です。途中案内図があり、それを見れば間違いなく着くでしょう。山に面して墓地の通路を右側に進んで奥に行けば初めに北条政子その先に源実朝のやぐらの中に五輪塔が在ります。特に実朝のやぐらの内側壁には唐草模様が彩色されていて「唐草やぐら」と呼ばれていたようです。この墓地には俳人・高浜虚子、 作家・大佛次郎、 明治時代外交官・陸奥宗光の墓もあります。
※拝観料:無料(但し特別公開日は有料)
記事提供:NPO法人 横浜シティガイド協会
(記事公開日:2022/1/14)