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六所神社

六所神社

源頼朝が戦の前に立ち寄った「六所神社」

この神社は小田原厚木道路・大磯ICの南約1.5㎞の大磯町国府地区にあります。出雲地方よりこの土地に移住した氏族が櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)を守護神として祀り、子々孫々の繁栄を祈願した神社です。

大化の改新により天皇を中心とした中央集権制度が確立し、各国には国府が置かれ朝廷より国司が派遣され国を治めました。相模国の国府は六所神社のある大磯町国府地区にあったと言われています。
国司は着任すると領地内の主な神社を巡拝し夫々で祀りを行い、祭政一致の行政を実施していましたが、多くの日時と経費が必要なため、巡拝する神社の御霊を一か所(総社)に合わせて祀るようになりました。相模国では一之宮・寒川神社、二之宮・川勾神社、三之宮・比々多神社、四之宮・前鳥神社、平塚八幡宮があり総社は六所神社となりました。
鎌倉時代になり、『吾妻鏡』によると1180年、平家の大軍が平維盛を大将として富士川に攻め寄せた時、源頼朝は「国府六所宮」に立ち寄り、富士川へ向かいます。このとき、六所神社で戦勝祈願を行ったと伝えられています。勝利のあと「相模国府」で北条時政等25名の論功行賞が行われたと伝えられ、地元大磯では、六所神社の別当寺であった真勝寺で論功行賞を行ったと言い伝えられています。

その後1186年に六所神社本殿の改造を行い、1192年には妻政子の安産祈願のため神馬を奉納しています。現在の六所神社の前の道は鎌倉道で源頼朝も通った道です。

この時代以降も北条早雲の子息氏綱が六所神社の社殿を造営し、また徳川家康が武運長久の祈願として50石の寄進状御朱印を出し、以後歴代の将軍の特別な祈願と六所領の寄進があり明治に至りました。
今も大磯町国府地区では毎年5月5日の端午の節句には、国府祭(こうのまち:神奈川県無形民俗文化財)と呼ばれる行事があります。

前述の六社の神輿が一堂に会し、五社の分霊が総社へ納められ、六柱のご神体が一体となり国家安泰・五穀豊穣を祈る全国でも大変珍しい祭りが執り行われています。私達ガイドも六所神社、真勝寺に加えて座問答という一之宮の座を争い「いずれ明年まで」と仲裁で終わる伝統の神事が行われる神揃山をご案内していますので、皆様のお越しをお待ちしています。

記事提供:NPO法人 大磯ガイド協会

(記事公開日:2022/1/14)

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