大山、日向薬師
古代から人々が暮らした伊勢原、頼朝などと深いゆかり
【相模を治める古代権力者の聖地】
伊勢原市は北西にそびえる標高1251.7mの大山(おおやま)を頂点に南東へ向かって高度を下げ、丘陵地や台地、平野へと続きます。温暖で水に恵まれた立地で、3万年以上前の後期旧石器時代の地層から石器が発見されていることから、当時すでに人が住み、暮らしていたようです。大山を望む丘陵上には大規模な縄文集落が営まれ、弥生時代になると台地に村が移されました。古墳時代には太刀や馬具など豊富な副葬品を有する古墳が集中し、その当時、相模を治める最高権力者にとってこの地が神聖で重要な地域であったことがわかります。
【頼朝は大山寺に寄進、霊山寺に参詣】
6世紀半ばに日本に仏教が伝わると、奈良時代の初め頃、この地にも日向山霊山寺(後の日向薬師)や大山寺が創建されました。また、遅くとも平安時代には三之宮比々多神社、大山阿夫利神社、高部屋神社が成立していたと考えられます。延喜式の式内社の相模国13社のうち、比々多神社、阿夫利神社、高部屋神社の3社が市内にあります。鎌倉幕府を開いた源頼朝は大山寺に田畑を寄進し、霊山寺にも参詣しています。中世は頼朝の御家人の糟屋有季が糟屋の荘を治め、荘内に兄弟や子孫の糟屋一族の地名も見られます。しかし、比企の乱では討ち死にしたと伝えられます。室町時代には、相模国守護代の上杉家家臣であった太田道灌が。市内の糟屋に招かれ暗殺されるという事件も起きました。
【門前町として発展、大山詣りで大賑わい、いままた新たな時代へ】
江戸幕府を開いた徳川家康は、僧兵や山伏たちの武力を大山寺から一掃し、3代家光はその再興に莫大な資金を投じました。将軍の代参や春日局などがたびたび大山寺を訪れた結果、江戸中期には庶民の間で、講をつくって大山へ参詣することが大流行しました。その様子は歌舞伎や落語等にも取り上げられ、大山は関東一円からの多くの参詣者で賑わいました。近年には平成28年に「大山詣り」が日向薬師や三之宮神社などとともに、日本遺産に認定されました。また、日向薬師も「平成の大修理」を終わり、平成28年に落慶し新たな見どころになっています。
源頼朝や北条政子も歩いた日向薬師参道
記事提供:いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会
(記事公開日:2022/1/28)