宝戒寺
鎌倉幕府の歴代執権を務めた北条得宗家の屋敷跡に建つ宝戒寺
鶴岡八幡宮の朱の大鳥居の前の道を金沢方面に進んだ場所に宝戒寺があります。萩のお寺として、秋は白萩で境内が埋め尽くされます。お寺の縁起によれば、後醍醐天皇が足利尊氏に命じて、北条一族の霊を弔うために建立したお寺とのことです。この地は、鎌倉時代には北条義時が小町邸として作った屋敷の跡です。その後、北条高時が新田勢に敗れるまで、代々北条得宗家の屋敷となっていました。
北条義時は、頼朝が伊豆に流されていた時の預け先だった在地豪族の北条時政の次男で、頼朝の妻となった北条政子の弟です。義弟であり、最側近として政治的資質にも優れていた北条義時を頼朝はとても信頼していました。1199年にカリスマ的な将軍源頼朝が急死し、その子頼家が将軍につくことになります。頼家は将軍の資質に欠けるとみなされ、北条義時を含む有力御家人13人による合議制(鎌倉殿の13人)が発足しますが、一方でこれら有力御家人の間での権力闘争が熾烈となっていきました。そんな権力闘争でトップに立ったのが北条義時で第2代執権となります。1221年の承久の乱では朝廷側に勝利し、武士の世の中を完成させた人物でもあります。そんな義時が居を構えたのが現在の宝戒寺の場所でした。
宝戒寺は、鎌倉では数少ない天台宗のお寺で1333年に開かれています。北条一族の鎮魂のほかに、国宝的人材を養成修行させる道場でもありました。本堂内には、本尊の子育経読地蔵大菩薩(重要文化財)、脇侍として帝釈天、梵天(いづれも県重要文化財)などが祀られています。お正月には、毘沙門天が祀られる本堂は鎌倉・江の島七福神めぐりで大変なにぎわいを見せます。
境内には、聖徳太子堂があります。聖徳太子は、優れた工芸技能者の育成を図ったといわれ、これにちなんで諸職人の守り神として信仰されています。また、德崇大権現堂には、德崇大権現として北条高時が祀られ、鎌倉幕府が滅亡した5月22日に北条一族鎮魂の為、毎年大般若転読会が行われています。他に、秘仏大聖歓喜双身天王(重要文化財)を祀った大聖歓喜双身天王堂などがあります。
秋は、萩で有名ですが、他にも白曼珠沙華などが、春はモクレン、梅、右近桜、夏は、百日紅、紫陽花、冬は椿、水仙、蠟梅など四季を通じて美しい花々を楽しむことができます。
宝戒寺の梅(鎌倉市観光協会提供)
歴史に満ちた地に建つ宝戒寺、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公、北条義時を偲び、鎌倉時代に想いを馳せてみませんか。
記事提供:江の島・藤沢ガイドクラブ
(記事公開日:2022/1/28)