延台寺
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『曽我物語』と大磯・延台寺
日本三大仇討ちのひとつといわれる『曽我物語』は、能や歌舞伎など演劇、物語の題材となり、「曽我物」といわれて広く庶民の間に知られています。大磯にある延台寺は、物語に登場する大磯宿随一の美女といわれた虎御前(虎女)ゆかりの寺です。
延台寺
時は鎌倉時代、寺の縁起によると、子宝に恵まれなかった夫婦が、虎池弁財天に願をかけると、小さな石を授かり、ほどなく可愛い女の子が、寅の日、寅の刻に生まれたので、 「虎」と名付けます。虎の成長とともに、かの石も大きくなったという伝説から、「虎御石」といわれ、現在境内にある法虎庵曽我堂にこの「虎御石」が安置され、子授けのご利益があるといわれています。
鎌倉時代の大磯宿の中心は化粧坂の辺りで、旅籠や遊郭などが軒を並べて、鎌倉武士の遊興の場であったといわれています。大磯宿の舞の名手となった「虎御前(虎)」は、ここで仇である工藤祐経をつけ狙う兄の曽我十郎と恋に落ちるのです。現在化粧坂にある化粧井戸は、朝に夕に十郎を待ち焦がれる虎御前が化粧をするために使った井戸であるといわれています。
また十郎が仇の工藤祐経が差し向けた討手に矢を射かけられたり、太刀を浴びせられたときに、この虎御石が身代わりとなったという言い伝えがあり、この石の表面には矢や刀を思わせる傷跡が残っています。「十郎の身代わり石」ともいわれています。 この後、建久四年5月28日、兄弟はめでたく本懐を遂げますが、兄十郎は討ち死に、弟五郎は捕まったのち斬首となります。歌川広重の「東海道五十三次の浮世絵」の「大磯虎が雨」は、兄弟が仇討ちを決行した旧暦5月28日に降る雨をいい、虎御前が、十郎の死を悲しんで流す涙が雨となって降るといわれ、俳句の夏の季語にもなっています。
兄弟亡き後、虎御前は19歳で出家し、現在延台寺のある場所に庵を結び、亡くなるまで兄弟を弔ったといわれています。
兄弟亡き後、虎御前は19歳で出家し、現在延台寺のある場所に庵を結び、亡くなるまで兄弟を弔ったといわれています。
有髪僧体の虎女坐像
後年、当山は延台寺として再興され現在に至っています。境内には、虎池弁財天、虎女供養塔などが残され、法虎庵曽我堂には「虎御石」をはじめ曽我兄弟座像・位牌、虎御前木造・位牌などが安置されています。
万治年間(1658年~61年)刊行の東海道名所記に、「虎が石とて、丸き石あり。よき男のあぐれば、あがり。あしき男のもつには、あがらずといふ。色ごのみの石なりと、旅人はあざむきかたる」とあり、江戸期には大磯の名所となっていたことがわかります。現在は毎年5月末に開催される”虎御石祭”の際、虎御石がご開帳されます。
虎御石祭
中世のロマンが生きている町・大磯、是非一度訪ねてみませんか。
記事提供:NPO法人大磯ガイド協会
(記事公開日:2022/2/18)