【鎌倉殿×13人の御家人たち】大河ドラマに登場した「ゆかりの地」
ついに始まりました
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」!
ドラマの舞台は、
実際にどんな場所だったのか!?
こちらでチェック!
INDEX
- 第1回 1月9日放送分【平穏な生活が一変!流罪人・源頼朝をかくまった北条家は一体どうなるのか?】
- 第2回 1月16日放送分【新たなバディの誕生!頼朝の思いを受け止めた義時はどう変わっていくのか?】
- 第3回 1月23日放送分【夢に後白河法皇が登場!周囲の声に押され、ついに挙兵を決意した頼朝は・・・】
- 第4回 1月30日放送分【矢は放たれた!義時や宗時が兵集めに苦戦するも、ついに源平合戦が始まる】
- 第5回 2月6日放送分【石橋山の戦いで大敗!北条を引っぱってきた宗時が志半ばで無念の死を遂げる】
- 第6回 2月13日放送分【弱気になった頼朝を叱咤!宗時の思いを引き継いだ義時はこれからどう動く?】
- 第7回 2月20日放送分【まさかの命拾い!強運の持ち主・頼朝は有力豪族を味方につけて鎌倉を目指す】
- 第8回 2月27日放送分【ついに鎌倉入り!勢力を増した頼朝勢はこのまま順調に進むのか】
- 第9回 3月6日放送分【水鳥のおかげで富士川の戦いを制する!?対面を果たした頼朝と義経は心を一つに】
- 第10回 3月13日放送分【頼朝の兄弟も鎌倉に集合!いよいよ源氏再興へ向けて動き出す】
- 第11回 3月20日放送分【ついに「鎌倉殿」誕生!新たな時代が築かれる中、登場人物たちの野望が燻る……。】
- 第12回 3月27日放送分【鎌倉に様々な人材が集い賑わいが増す中、御所では不穏な噂が立っていた】
- 第13回 4月3日放送分【源平激突は目前!頼朝のライバル木曽義仲の動向に、揺れる鎌倉】
- 第14回 4月10日放送分【木曽義仲の活躍と、水面下で謀る頼朝 そして、鎌倉では新たな火種が生まれていた】
- 第15回 4月17日放送分【上総広常が迎える、衝撃の運命! 頼朝の非情な裁決に義時は……】
- 第16回 4月24日放送分【戦の天才、源義経の計略に嵌る木曽義仲 そして、ついに源平激突へ!】
- 第17回 5月1日放送分【義高に迫る危機 救出作戦の結果は……!?】
- 第18回 5月8日放送分【「壇ノ浦の戦い」で義経が大活躍! ついに源平の戦いに決着が】
- 第19回 5月15日放送分【兄弟の亀裂は修復不能!?】
- 第20回 5月22日放送分【夏草や兵どもが夢の跡】
- 第21回 5月29日放送分【ついに奥州藤原氏が滅亡!頼朝が上洛へ向けて動き出す】
- 第22回 6月5日放送分【失意の義時をよそに野望へと動き出す頼朝 そして鎌倉では不穏な動きが…】
- 第23回 6月12日放送分【陰謀渦巻く「富士の巻狩り」 そしてドラマに新たな世代が登場!】
- 第24回 6月19日放送分【源範頼の鎌倉を思う気持ちと、大姫の一途な想い……変わらぬ思いの先に、衝撃のラストが!】
- 第25回 6月26日放送分【ついに鎌倉殿が……!?】
- 第26回 7月4日放送分【次の鎌倉殿をめぐり、新たな物語が動き出す!】
- 第27回 7月17日放送分【源頼家を支える13人衆が一堂に会すも、不穏な船出に】
- 第28回 7月24日放送分【13人衆の権力闘争により勃発!梶原景時が罷免され…】
- 第29回 7月31日放送分【御家人たちのパワーバランスが崩れ、北条と比企の覇権争いが激化!】
- 第30回 8月7日放送分【頼家を呪詛した罪で、阿野全成が壮絶な最期! 鎌倉では義時が比企と対峙し…】
- 第31回 8月14日放送分【北条vs.比企の全面戦争へ! 比企能員の乱の顛末と、鎌倉殿の後継…】
- 第32回 8月21日放送分【頼家の奇跡的な回復が新たな火種となり、いくつもの悲劇と別れが…】
- YouTuberミスター武士道的視点で“7月放送まとめ記事”
- 第33回 8月28日放送分【修善寺に追放された失意の源頼家が謀反か。義時の命を受けた暗殺者・善児は…】
- YouTuberミスター武士道的視点で“8月放送まとめ記事”
- 第34回 9月4日放送分【三代鎌倉殿・実朝の正室を京から迎える話が進み、義時にも新たな出会いが…】
- 第35回 9月11日放送分【実朝の妻となる千世が鎌倉に到着。息子・政範の京での怪死に心痛める母りくは…】
- 第36回 9月18日放送分【和田義盛の説得もむなしく、畠山重忠の乱が勃発。重忠と北条義時、互いに引けない戦いの行く末は…】
- 第37回 9月25日放送分【激化する北条親子による主導権争い。新鎌倉殿擁立計画、その顛末は…】
- YouTuberミスター武士道的視点で“9月放送まとめ記事”
- 第38回 10月2日放送分【二代執権・北条義時が誕生!後鳥羽上皇との苛烈な戦いへ…】
- 第39回 10月16日放送分【北条義時による政(まつりごと)の改変が進み、御家人たちは不満を募らせ…】
- 第40回 10月23日放送分【義時は和田義盛の討伐を画策 政子や実朝は戦の回避に向けて奔走するが…】
- 第41回 10月30日放送分【鎌倉最大の戦「和田合戦」勃発!実朝は和田義盛の助命のため陣頭に立ちますが…】
- 第42回 11月6日放送分【鎌倉殿・実朝と執権・義時との溝はより深くなり、実朝が夢見た宋へと渡る唐船建造計画は…】
- 第43回 11月13日放送分【朝廷から鎌倉殿の後継となる親王を迎える話が進む中、それぞれの思惑が複雑に絡み合い…】
- 第44回 11月20日放送分【実朝の右大臣拝賀式へ向けて、公暁、義時、仲章らそれぞれの思いが激しく交錯し…】
- YouTuberミスター武士道的視点で“10月放送まとめ記事”
- 第45回 11月27日放送分【鎌倉最大の悲劇。鶴岡八幡宮、雪の大階段から、鎌倉はまた新たな激動期を迎え…】
- YouTuberミスター武士道的視点で“11月放送まとめ記事”
- 第46回 12月4日放送分【後鳥羽上皇と義時の駆け引きが激化。そんな折、尼御台・政子がある決意を…】
- 第47回 12月11日放送分【義時と後鳥羽上皇の駆け引きはもつれ、ついに鎌倉最大の危機へ。そして北条政子の大演説が始まる…】
- 第48回 12月18日放送分【承久の乱に勝利!泰時が新たな武士の世を思い描く一方、義時が受ける「報い」とは!?】
- YouTuberミスター武士道的視点で“12月放送まとめ記事”
- 神奈川県のドラマがよりわかる!他のサイトもチェック
第1回 1月9日放送分【平穏な生活が一変!流罪人・源頼朝をかくまった北条家は一体どうなるのか?】
北条家で宴が開かれている中、義時は兄の宗時から衝撃の事実を聞かされます。流罪人の源頼朝を家にかくまっている、と。頼朝は、義時の幼馴染である八重と恋仲になり男児も生まれていましたが、平清盛から頼朝の監視を任されていた八重の父・伊東祐親から追われている身。もし知られたら大変なことになります。
義時の心配は現実となり、祐親は北条家を捜索するためにやって来ました。絶体絶命の状況で義時の姉・政子の機転により何とか屋敷を脱出しますが・・・
Column
登場したゆかりの地
史跡北条氏邸跡(円成寺跡)
北条氏邸は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。北条氏邸跡が位置する守山は北条氏の本拠地で、鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。1992年から1993年にかけて行った発掘調査で平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、北条氏の館があることが確認されました。
1333年、鎌倉幕府の滅亡後に鎌倉から韮山に戻った北条一族の妻や娘たちが館の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。
北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。
住所:静岡県伊豆の国市寺家13
駐車場:あり(17台+車いす1台)
連絡先:055-948-1428(伊豆の国市文化財課)
第2回 1月16日放送分【新たなバディの誕生!頼朝の思いを受け止めた義時はどう変わっていくのか?】
宗時の期待をよそに挙兵しないと言う頼朝。そんな頼朝と政子の仲を心配した義時は、二人が出かけた湯河原へ向かいます。そこで頼朝に「いずれは挙兵して世の中を正す。それには北条家の後ろ盾が必要だ」と本心を明かされた義時は、その威厳に圧倒され思わず「ははーっ」と返事をするのでした。
Column
登場したゆかりの地
蛭ヶ島
平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって伊豆の蛭ヶ島に配流されました。
永暦元年(1160)2月の14歳から、治承4年(1180)8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたといわれています。流人とはいえ、その監視は比較的ゆるやかであったといわれており、伊東祐親の娘・八重姫との恋、北条政子との結婚のほか、箱根・伊豆山・三嶋の三社詣、天城山での巻狩りなどの伝承も残されています。当時の蛭ヶ島は洪水の度に田方平野を縦横に流れていたであろう狩野川の中洲、あるいは湿田の中の微高地(田島)であったと考えられます。 江戸時代の末に伊豆の地誌「豆州志稿」を著わした秋山富南が、頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記」(市指定文化財)が立っています。
周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士に向って立つブロンズ像「蛭ヶ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
住所:静岡県伊豆の国市四日町12
駐車場:あり(14台+大型2台)
連絡先:055-948-1468(伊豆の国市都市計画課)
第3回 1月23日放送分【夢に後白河法皇が登場!周囲の声に押され、ついに挙兵を決意した頼朝は・・・】
頼朝と政子の間には大姫が誕生し、穏やかな時間が流れていました。
そんな中、頼朝の叔父・行家が、平清盛に反旗を翻した後白河法皇の息子・以仁王の令旨を携えて北条家に訪れました。謀反は結局は失敗に終わりましたが、平家への反発は大きくなっていきます。
勝てる保証がなければ挙兵しないという頼朝。義時は伊豆の国衙にあった木簡から兵力を割り出し、勝機はあると伝えます。後白河法皇からの助けを求める密旨も出てきて挙兵に必要な大義名分も揃い、ついに頼朝は宗時に挙兵の準備を命じました。
第4回 1月30日放送分【矢は放たれた!義時や宗時が兵集めに苦戦するも、ついに源平合戦が始まる】
いよいよ挙兵することになった頼朝たち。まずは伊豆国の目代・山木兼隆を討つべく戦の準備を始めますが、強大な平家の威光の前に、思ったよりも兵の数が集まりません。
頼朝や義時たちが兵集めに奔走する中、伊東祐親や大庭景親に挙兵することが伝わってしまいます。中止も考えていた頼朝ですが、八重からの情報により、予定通り挙兵することに。
北条宗時と坂東の武士たちは堤信遠の館へ向かいます。そして、佐々木常隆が放った矢により、源平合戦が始まるのでした。
Column
登場したゆかりの地
三嶋大社
創建は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とされています。 平治の乱に敗れ、伊豆国へ流された源頼朝は三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の祭礼の日と定め、治承4年(1180)に伊豆国の目代山木兼隆を討ちとりました。 宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」や源頼家自筆の般若心経が残されています。 また敷地内には、源頼朝と北条政子が三嶋大社を100日に渡り日参した際に休息したとされている『腰かけ石』や、『安達藤九郎盛長 警護の跡』、源頼朝が放生会を行った『神池』、北条政子が勧請した『厳島神社』など、源頼朝夫妻にゆかりのあるスポットが多く残っています。
住所:静岡県三島市大宮町2-1-5
駐車場:あり(55台+大型バス13台)
連絡先:055-975-0172
第5回 2月6日放送分【石橋山の戦いで大敗!北条を引っぱってきた宗時が志半ばで無念の死を遂げる】
鎌倉を目指す頼朝軍は石橋山に陣を取りますが、大庭景親軍と伊東祐親軍に挟まれて大敗し、山中の洞窟に身を潜めます。
宗時は義時に甲斐の武田に援軍を求めてくるように言い残し北条館に戻りますが、その途中で伊東祐親の手下に殺されてしまいました。
「坂東武者の世をつくり、その頂点に北条が立つこと」という宗時の野望は義時に託されたのです。
Column
登場したゆかりの地
石橋山古戦場、佐奈田霊社
【石橋山古戦場】
伊豆・相模の武将の援軍を得て300余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を大庭景親の3,000余騎に、後方を伊東祐親の300騎に挟まれて大苦戦となりました。これが「石橋山の合戦」です。
頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、10倍を越える敵の軍勢に頼朝方は破れ、箱根山中に逃れました。
住所:神奈川県小田原市石橋477-1
駐車場:なし
連絡先:0465-33-1521
URL:https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/historic_battlefield/p10043.html
【佐奈田霊社】
石橋山の合戦で討死した頼朝方の佐奈田与一義忠を祀っています。この霊社は、与一が敵将の俣野五郎景久と組み討ち中、味方からの問いかけに対し「たん」がからんで声が出ず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという伝承にちなんで、たん、咳、ぜんそく、声に霊験があるとして知られます。
住所:神奈川県小田原市石橋420
駐車場:あり
連絡先:0465-22-8554
URL:https://www.odawara-kankou.com/spot/spot_area/ishibashiyamakosenjo.html
第6回 2月13日放送分【弱気になった頼朝を叱咤!宗時の思いを引き継いだ義時はこれからどう動く?】
大庭景親による平家方に大敗した頼朝は、石橋山の山中に身を潜めていました。山中を捜索する大庭勢でしたが、洞窟に隠れた頼朝を発見した梶原景時はなぜか見逃し、黙って立ち去ります。
その頃、時政と義時は援軍を求めに甲斐の武田信義のもとに向かいますが良い返事をもらうことができません。
頼朝たちは船で千葉の房州へと逃げ、安西景益のもとに身を寄せます。
そんなとき、仁田忠常から宗時が取りに行ったはずの観音像を渡された義時は宗時が亡くなったことを察し、悲しみに打ちのめされながらも兄の思いを引き継ぐことを決意します。
Column
登場したゆかりの地
しとどの窟、源頼朝船出の浜(岩海岸)
【しとどの窟】
石橋山の戦いに敗れた頼朝が土肥実平に導かれて追手の目を逃れるために隠れたと言われています。大小20体余りの石仏が天然の岩屈内に安置されていて、神奈川県の指定史跡になっています。
住所:神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋
駐車場:あり(無料)
連絡先:0465-63-2111(湯河原町観光課)
URL:https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/668/
【源頼朝船出の浜(岩海岸)】
石橋山の戦いに敗れた源頼朝が1190年頃、岩海岸から房州(千葉県)に向かって船を漕ぎだし、逃げ延びたと言われています。船を漕ぎだす際に追手が迫り、村人に「あそこの船はなんだ」と聞かれましたが、「近海で鮫が出ており、それを退治するための鮫追船です」と答えて時間を稼ぎ、無事脱出できたという伝承があります。
住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩957-1
駐車場:なし
連絡先:0465-68-1131(真鶴町産業観光課)
URL:https://www.manazuru.net/sightseeing/iwakaigan/
第7回 2月20日放送分【まさかの命拾い!強運の持ち主・頼朝は有力豪族を味方につけて鎌倉を目指す】
房総半島で再起を図る源頼朝は、有力豪族を味方につけようと動き始めていました。安達盛長を送った千葉常胤はすぐに頼朝のもとへ参じたものの、和田義盛と義時を送り込んだ上総広常からはなかなか返事をもらえません。
その頃、伊藤祐親は夜襲をかけて頼朝を討つよう長狭常伴に命じましたが、決行の日に頼朝がたまたま見初めた亀を部屋に呼んでおり、その夫が乗り込んできたため難を逃れます。
これを聞いた広常は頼朝側につくことを決め、2万の兵を率いて頼朝のもとへ合流。奥州にいる源義経も頼朝の軍勢に参じるために旅立ちのときを迎えていました。
第8回 2月27日放送分【ついに鎌倉入り!勢力を増した頼朝勢はこのまま順調に進むのか】
武蔵の国に入った頼朝勢を討つため、平清盛は追討軍を送ります。
義時は頼朝の命を受けて甲斐の武田信義のもとへ行き、無事に頼朝の味方になる約束を取り付け、これにより勝利を確信した頼朝は御所を大倉にすることに決めました。
その頃、降伏してきた畠山重忠を受け入れ、相模入りの先陣を任せるなどにより頼朝に不満を漏らす者も出てきますが、義時と三浦義家がみんなで酒を飲む機会を設け、一つにまとめます。
そして、石橋山で大敗したわずか1ヶ月半後、頼朝勢はついに鎌倉に入りました。頼朝は鶴岡八幡宮を建立し坂東をまとめ上げ、平家を滅ぼすと宣言します。
Column
登場したゆかりの地
寿福寺
住所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-17-7
駐車場:あり(無料)
連絡先:-
第9回 3月6日放送分【水鳥のおかげで富士川の戦いを制する!?対面を果たした頼朝と義経は心を一つに】
頼朝は平家方を捕らえるために和田義盛と畠山重忠を派遣しますが、義時と三浦義村により伊藤祐親と八重は救われました。
平維盛率いる平家の追討軍が迫る中、頼朝軍は武田信義と合流し、翌々日の出陣に合意。ところが信義は頼朝を出し抜こうと深夜に出陣します。そのとき、追討軍の対岸で時政とケンカをしていた三浦義澄が転び、数万羽の水鳥が飛び立ちました。この羽音を奇襲と勘違いした追討軍は退陣。平家軍を一気に追い込むチャンスでしたが、坂東武者たちの兵糧が尽き、断念します。
そこへ、ついに義経が現れて頼朝と対面。父親の仇を討つことを涙ながらに誓うのでした。
Column
登場したゆかりの地
対面石(八幡神社)
もともとは今よりも北側にあったとされています。
そばには、その時植えられたとされる2本の「ねじり柿」があります。
住所:静岡県駿東郡清水町八幡
駐車場:なし
連絡先:055-972-4904
第10回 3月13日放送分【頼朝の兄弟も鎌倉に集合!いよいよ源氏再興へ向けて動き出す】
頼朝が平家の追討軍を追いやったことを聞き喜ぶ後白河法皇に、平清盛は自ら追討の指揮をとることを伝えます。
その頃、捕らえられた大庭景親が頼朝のもとに連れてこられ、上総広常の手により斬首され、首は片瀬川あたりにさらされました。
頼朝は平家方についている佐竹義政がいる常陸へ出陣。広常に意向を聞いて来るよう命じますが、義政のひと言によりカッとなり斬りつけてしまいます。激しい戦になるかと思われ、義経も有効な策を講じますが、広常が治めることに成功します。
そして、源家の八男・義円も鎌倉に到着。これで、頼朝の兄弟が揃いました。
第11回 3月20日放送分【ついに「鎌倉殿」誕生!新たな時代が築かれる中、登場人物たちの野望が燻る……。】
頼朝の勧めで義時と八重との縁談が進められますが、当の八重からは断られてしまう……。
失意も冷めやらぬまま、義時は体制を整えるために奔走します。 1180年(治承4年)、頼朝は鎌倉に完成した御所に入ります。平家から奪った所領を、家人たちに与え、頼朝は「鎌倉殿」、家人たちは「御家人」として主従の契りを交わすのでした。
一方、平清盛は、以仁王をかくまった園城寺を焼き討ちするなど、敵対勢力の掃討に力を入れますが、1181年(治承五年)に急死。
頼朝は、「清盛を倒すことは叶わなかったが、平家を必ず滅ぼす」と誓います。
第12回 3月27日放送分【鎌倉に様々な人材が集い賑わいが増す中、御所では不穏な噂が立っていた】
政子が嫡男を生み、御所がお祝いムードに包まれる中、頼朝が亀と通じていることが周辺で噂になってしまいます。
牧の方は一計を案じて、政子に亀のことを伝え、亀の屋敷の一部を打ち壊すようそそのかします。ところが、思いがけず事態が大きくなり、屋敷は全焼。これに怒った頼朝は、事件に関わった義経に謹慎処分を言い渡します。
怒りの収まらない政子は、元はと言えば頼朝の女癖の悪さが原因だと頼朝に詰め寄ります。一方で、頼朝を怒鳴りつけてしまった時政が「伊豆に帰る」と言い出すなど、御所は大騒ぎに。
果たして義時はこの事態を収められるのか!?
Column
登場したゆかりの地
妙本寺
住所:神奈川県鎌倉市大町1丁目15-1
駐車場:なし
連絡先:0467-22-0777
第13回 4月3日放送分【源平激突は目前!頼朝のライバル木曽義仲の動向に、揺れる鎌倉】
八重への一途な想いを募らせる義時は、鎌倉と江間を往復する日々を続けていました。
一方、平家との戦に敗れた源行家は、木曽義仲を訪ね、共に京に攻め上がろうと持ち掛けます。しかし、木曽義仲は「今ではない」とこれを断ります。
一方、頼朝は、木曽義仲の真意を測りかねていました。木曽義仲は頼朝のいとこにあたりますが、平家とつながっているという噂があったのです。
そこで、使者として義時を木曽義仲に元へ遣わすのですが……。
Column
登場したゆかりの地
北条義時館跡(江間公園)
住所:静岡県伊豆の国市南江間768-4
駐車場:18台+車いす用2台
第14回 4月10日放送分【木曽義仲の活躍と、水面下で謀る頼朝 そして、鎌倉では新たな火種が生まれていた】
木曽義仲の嫡男、義高が鎌倉入り。頼朝と政子の娘、大姫の許嫁という体裁ですが、実際は人質でした。
一方、木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで平家を破り、上洛します。追い詰められた宗盛は、三種の神器を持ち出し、幼い安徳天皇を連れて敗走します。
義仲の活躍を悔しがる頼朝は、後白河法皇に書状を送り、義仲を出し抜きます。京へ上り義仲を倒したい頼朝でしたが、御家人たちは源氏同士の争いに反発。
鎌倉に新たな火種が生まれてしまいます。
第15回 4月17日放送分【上総広常が迎える、衝撃の運命! 頼朝の非情な裁決に義時は……】
御家人たちは、鎌倉殿が都ばかりに目を向けることに不満を抱え、謀反を計画。鹿狩りと称して頼朝の嫡男、万寿を連れ出すべく、準備を進めます。
そんななか、上総広常は、謀反に加わる振りをして、御家人たちのたくらみを治めるよう画策。
一方、木曽義仲は、源義経が京へ向かっていることを知ると、後白河法皇を捕らえて、決戦へ備えます。
義時の説得や上総広常の働きもあり、謀反は未然に阻止されました。しかし、頼朝が謀反の見せしめに選んだ御家人は、意外な人物でした。
Column
登場したゆかりの地
朝夷奈切通
住所:神奈川県横浜市金沢区朝比奈街字峠坂1
駐車場:なし
第16回 4月24日放送分【戦の天才、源義経の計略に嵌る木曽義仲 そして、ついに源平激突へ!】
木曽義仲が後白河法皇を捕らえ、頼朝追討の院宣を発出させると、頼朝は梶原景時を戦奉行とした御家人たちの軍を京へ向かわせます。
先発隊の義経と合流した御家人たちは、義経の天才的な計略に従い、木曽義仲を追い詰めていきます。
さらに、義経は後白河法皇に依頼し、平宗盛を油断させるよう謀ります。
一ノ谷の戦いと呼ばれる、源平合戦最大の行軍が幕を開けました。
第17回 5月1日放送分【義高に迫る危機 救出作戦の結果は……!?】
義経は、後白河法皇から木曽義仲追討の戦果を褒められたうえ、検非違使に任ぜられます。しかし、これは頼朝に無断の行為でした。
一方、源頼朝は、義仲の嫡男、義高が、自分と頼家(万寿)に恨みを抱くのではないかと危険視。
頼朝は義時に、「三日以内に義高を討て」と命じます。
義高が討たれることを知った政子は、義高に懐いている大姫の気持ちを思い、逃がそうと画策。義時も手伝い、いよいよ作戦が決行されるのですが……。
Column
登場したゆかりの地
常楽寺
住所:神奈川県鎌倉市大船5-8-29
駐車場:なし
連絡先:0467-46-5735
第18回 5月8日放送分【「壇ノ浦の戦い」で義経が大活躍! ついに源平の戦いに決着が】
源氏軍は、一ノ谷の戦いに敗れた平家軍を追討。
義経は嵐の中、船を出して屋島へ向かい、不意を突かれた平家を破ります。
さらに、壇ノ浦で平家軍を追い詰めると、敗北を悟った二位尼は、安徳天皇と三種の神器の一つである宝剣と共に海中に身を投げます。義経の活躍で、ついに平家が滅亡しました。
その後、義経は、捕らえた平宗盛を護送して鎌倉へ向かいますが、源頼朝は、義経と後白河法皇の接近を危険視し、鎌倉入りを許しませんでした……。
第19回 5月15日放送分【兄弟の亀裂は修復不能!?】
頼朝に鎌倉入りを許されず、京都へ戻る義経。
義時は、頼朝と義経の関係を修復させるため、大江広元から助言を受けます。義時らの進言により、頼朝は後白河法皇に対し、義経を伊予守にするよう願い出ます。義経が検非違使を辞して、鎌倉に戻ることを願ってのことでした。
しかし、後白河法皇は義経を留め置くため、慣例を破り、義経に検非違使と受領を兼任させます。さらに、叔父・源行家が、義経に頼朝を討つようそそのかします。
兄弟の願いとは裏腹に、ふたりの関係は悪化していきます。そんな中、後白河法皇は、頼朝追討の宣旨を出すのでした。
第20回 5月22日放送分【夏草や兵どもが夢の跡】
追討を逃れた源義経は、奥州平泉で藤原秀衡の庇護を受けていました。そんな矢先、秀衡が亡くなり、嫡男・泰衡が後継となります。
一方、北条義時は、源頼朝に「義経を連れ戻す」と申し出ます。しかし、頼朝は義経を生きて帰すことを許しません。頼朝は義時に、泰衡とその兄・国衡の仲が悪いことを利用し、義経を討たせるよう命じます。
義時は奥州を訪れて、義経に面会。義経は、義時に「もう戦をするつもりはない」と告げます。そんな義経に義時は、鎌倉で静御前の身に起きた悲劇を語るのでした……。
第21回 5月29日放送分【ついに奥州藤原氏が滅亡!頼朝が上洛へ向けて動き出す】
源頼朝は、兵を集めて奥州へ攻め込み、奥州藤原氏を滅ぼします。
後白河法皇は奥州討伐の恩賞として、頼朝に、「望みの物を与える」と伝えますが、頼朝はこれを断ります。殊勝なところを見せると同時に、言いなりにはならないという意思表示でもありました。
北条時政は、伊豆・願成就院に運慶を招き、阿弥陀如来像を作らせます。同行した義時は、阿弥陀如来像のまなざしに、妻の面影を見ていました。
一方、鎌倉では八重がみなしごたちを川で遊ばせるなか、子供の一人が川に流されてしまいます。八重は子供を助けるため川に入るのですが……。
Column
登場したゆかりの地
願成就院
住所:静岡県伊豆の国市寺家83-1
URL:https://ganjoujuin.jp/
第22回 6月5日放送分【失意の義時をよそに野望へと動き出す頼朝 そして鎌倉では不穏な動きが…】
唐突に身に起きた不幸に、失意の日々を送る北条義時。
そんななか、源頼朝は御家人たちの大軍を引き連れて上洛。後白河法皇と会談し、大姫を帝の后とするよう願い出ます。
一方、鎌倉では不穏な動きが……。工藤祐経を「親の敵」と狙う、曽我兄弟と、頼朝に不満を持つ御家人たちの思惑が交錯します。
第23回 6月12日放送分【陰謀渦巻く「富士の巻狩り」 そしてドラマに新たな世代が登場!】
御家人たちが参加する「富士の巻狩り」にて、源頼朝の嫡男・万寿は獲物を取れずに悔しい思いをします。一方、北条義時の嫡男、金剛はいとも簡単に獲物を取ってしまいます。
そんな中、曽我兄弟の謀反の企てを知った義時は、畠山重忠の協力を得て頼朝の仮住まいの守りを固めます。
しかし、頼朝の行動により、事件は意外な結末を迎えることになりました……。
Column
登場したゆかりの地
頼朝井戸の森
▼頼朝の井戸 看板より
建久4年(1193)、将軍源頼朝公は、武威を天下に誇示し、且亦将兵の士気をも鼓舞せんものと、駿河国藍沢(御殿場地方)から富士野(上井出地方)に亘る広大な富士山の裾野で大規模な巻狩を催した。
住所:静岡県裾野市須山2255-26
第24回 6月19日放送分【源範頼の鎌倉を思う気持ちと、大姫の一途な想い……変わらぬ思いの先に、衝撃のラストが!】
源頼朝暗殺の報を受けて、次の鎌倉殿の座に就く動きを見せた源範頼。
頼朝は範頼に不信感を抱き、詮議します。範頼は起請文を書き、謀反のつもりはないと弁明しますが、疑いは晴れず、修善寺に幽閉されてしまいます。
一方、木曽義高のことを想い続ける大姫は、縁談に前向きになれませんでしたが、巴御前に励まされて、入内を受け入れることにします。
しかし、京都を訪れた大姫に待っていたのは、丹後局からのきつい洗礼でした。
Column
登場したゆかりの地
修禅寺
住所:静岡県伊豆市修善寺964
第25回 6月26日放送分【ついに鎌倉殿が……!?】
自分が死んでしまうという悪夢にさいなまれる源頼朝。弟の全成からの助言を妄信し、頼家の長男・一幡を抱くことを拒むなど、死への不安が消えません。
そんな中、頼朝は御家人・稲毛三郎重成が、亡き妻のために新造した相模川の橋の供養に参加します。供養の席で、頼朝は北条義時に、鎌倉殿を頼家に継がせる考えを打ち明け、「頼家を頼む」と思いを伝えます。
その後、頼朝は安達盛長と共に、先に鎌倉御所に戻るのですが……。
Column
登場したゆかりの地
史跡・天然記念物 旧相模川橋脚
住所:神奈川県茅ヶ崎市下町屋1-4-2
Column
登場したゆかりの地
御霊神社
住所:神奈川県茅ヶ崎市南湖2-9-10
第26回 7月4日放送分【次の鎌倉殿をめぐり、新たな物語が動き出す!】
相模川の橋供養から鎌倉御所に戻る帰路で、落馬し意識不明となった源頼朝。
比企能員や北条時政らの思惑が交錯し、鎌倉に不穏な空気が流れる中、北条義時は頼家を次の鎌倉殿とする新しい体制作りに着手します。
政子らの祈りもむなしく、頼朝は帰らぬ人となり、荼毘に付された遺骨は御所の裏にある持仏堂に納められました。 頼家を支える体制を整え終わった義時は、伊豆に帰る決心を固め、政子のもとを訪れるのですが…。
Column
登場したゆかりの地
鶴岡八幡宮
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
Column
登場したゆかりの地
史跡法華堂跡(源頼朝墓)
住所:神奈川県鎌倉市西御門2
第27回 7月17日放送分【源頼家を支える13人衆が一堂に会すも、不穏な船出に】
源頼朝を亡くし、その跡継ぎとして鎌倉殿となった若き源頼家。スタート早々、問題は山積みで、北条義時は頼家の負担を軽減するため、訴訟問題は文官と梶原景時が取り次ぎ、最終判断だけ頼家に仰ぐ方法を考え出します。
しかし、比企能員や北条時政らが仲間を増やしながら評議への参加を主張し、結局13人の御家人による合議制がスタートします。
一方で御家人を信じないと心に秘めている頼家は義時の息子・頼時ら若者たち側近と独自の政治を行うと宣言。居並ぶ宿老達との信頼関係は早くも崩れ……。
Column
登場したゆかりの地
永福寺跡
住所:神奈川県鎌倉市二階堂178
駐車場:なし
連絡先:0467-61-3857
第28回 7月24日放送分【13人衆の権力闘争により勃発!梶原景時が罷免され…】
源頼家を補佐する13人の宿老による訴訟の取次は、それぞれの思惑も絡み、最初から紛糾します。
そんな折、その厳格さで周囲から煙たがられる侍所別当・梶原景時に対する「御家人66人の連判状」が提出され、頼家は景時を罷免、奥州外ケ浜への流罪を言い渡します。
景時は後鳥羽上皇の誘いに乗り、上洛を図りますが、義時がそれを阻止。景時は流罪先へ向かうと言って去ります。
しかし、義時は景時が華々しく戦って散るつもりだと察し、景時追討の兵を挙げさせ……。
Column
登場したゆかりの地
梶原景時館址(一之宮天満宮)
住所:神奈川県高座郡寒川町一之宮8-6
駐車場:なし
連絡先:0467-74-1111
Column
登場したゆかりの地
建長寺
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内8
駐車場:あり(乗用車20台、600円)
連絡先:0467-22-0981
第29回 7月31日放送分【御家人たちのパワーバランスが崩れ、北条と比企の覇権争いが激化!】
鎌倉では、北条時政の悪友だった三浦義澄、源頼朝の従者として長く仕えた安達盛長が相次いで世を去り、13人の御家人は早くも残り9人となりました。
頼家の跡継ぎ問題では、頼家の正室・つつじが次男・善哉を出産し、三浦義村が乳母夫となりますが、比企能員は頼家の長男・一幡こそ後継とし、また北条時政は政子の次男・千幡を後継としたいと考え、双方の覇権争いは激化。
そんな中、時政と妻のりくは、頼朝の異母弟で僧侶の阿野全成に頼家への呪詛を命じますが…。
Column
登場したゆかりの地
衣笠城址
住所:神奈川県横須賀市衣笠町29番地
駐車場:なし
連絡先:046-822-8484
Column
登場したゆかりの地
満昌寺
住所:神奈川県横須賀市大矢部1-5-10
駐車場:あり(普通車のみ)
連絡先:046-836-2317
Column
登場したゆかりの地
三浦義澄の墓(薬王寺旧跡)
住所:神奈川県横須賀市大矢部1-13
駐車場:なし
連絡先:046-822-8484
第30回 8月7日放送分【頼家を呪詛した罪で、阿野全成が壮絶な最期! 鎌倉では義時が比企と対峙し…】
鎌倉殿・源頼家への呪詛を行った疑いがかけられ、詮議を受けた阿野全成は、北条義時や畠山重忠らの尽力もあり、八田知家の統治する常陸へ流罪となります。
一方、北条家への対決姿勢を強める比企能員は、頼家とも所領の再配分を巡って対立。
比企は常陸に流された全成に、頼家への呪詛を焚き付け、その謀反は再び露見してしまい、全成は暴風雨の中で、知家によって討ち取られてしまいます。
鎌倉では北条義時が、ある決意を持って比企能員と相対峙し…
Column
登場したゆかりの地
大泉寺
(大泉寺 HPより)
開基は法華院殿阿野法橋全成(ほっけいんでんあのほうきょうぜんじょう)である。牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸(いまわかまる)という異母兄弟がいたことは余り知られていない。この今若丸がのちの阿野全成である。牛若丸と今若丸は源義朝と常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じである。今若丸は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承4年(1180)頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄といった)を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。北条時政の娘(阿波局)と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建てその一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まりで、最初は真言宗であったという。
住所:静岡県沼津市井出744
Column
登場したゆかりの地
阿野全成の墓
(伝阿野全成・時元墓 看板より)
阿野全成は、幼名は今若丸といい清和源氏の嫡男源義朝の七男です。鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄にあたり、母は有名な常磐御前です。 頼朝の死後、建仁3年(1203)5月、全成は阿野庄において兵を挙げましたが、幕府軍に捕らえられ常陸国へ配流となり、同年6月23日、下野国で処刑されました。首は阿野庄の全成館へ届けられたと伝えられています。 その後、全成の遺児時元も承久元年(1219)2月11日、反北条の兵を挙げましたが、執権北条義時はただちに兵を差し向け、交戦10日の後に阿野一族は敗北して、時元も自刃しました。
住所:静岡県沼津市井出744
Column
登場したゆかりの地
首かけの松の石碑
住所:静岡県沼津市井出744
第31回 8月14日放送分【北条vs.比企の全面戦争へ! 比企能員の乱の顛末と、鎌倉殿の後継…】
病に倒れた鎌倉殿・源頼家の後継者をめぐり、暗躍する比企能員と北条の争いが激化。比企は能員の娘・せつが生んだ、頼家の長男・一幡を、北条は頼家の弟・千幡を推し北条義時、時政が能員と話し合いますが、交渉はことごとく決裂します。遂に比企を滅ぼすことを決めた義時は、和議を申し入れる形で能員を北条館へ招き、一人でやってきた能員を討ち取ります。その日のうちに比企一族も北条の軍勢に滅ぼされます。
そして、千幡と北条時政による新しい政治体制へ評議が始まる中、その間ずっと意識の戻らなかった頼家が死の淵から奇跡的に回復し…。
Column
登場したゆかりの地
名越切通
住所:神奈川県逗子市小坪7丁目、久木9丁目
駐車場:なし
連絡先:046-872-8153
Column
登場したゆかりの地
妙本寺
住所:神奈川県鎌倉市大町1丁目15-1
駐車場:なし
連絡先:0467-22-0777
第32回 8月21日放送分【頼家の奇跡的な回復が新たな火種となり、いくつもの悲劇と別れが…】
死の淵から息を吹き返した二代鎌倉殿・源頼家。その処遇と、千幡(実朝)・北条時政による新体制への評議が、北条家を中心に行われます。
頼家は自身の意識がない間に、比企一族が滅ぼされた上、弟が後継に立てられていることに激高します。
一方、義時の妻・比奈は比企の血を引く身として義時に離縁を申し出、比企能員を討った仁田忠常は、頼家と北条の板挟みとなり、自害を選びます。鎌倉を新たな災いが覆う中、義時は頼家を伊豆の修善寺に送ることを決めます。
Column
登場したゆかりの地
極楽寺
住所:神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-7
駐車場:なし
連絡先:0467-22-3402
YouTuberミスター武士道的視点で“7月放送まとめ記事”
第33回 8月28日放送分【修善寺に追放された失意の源頼家が謀反か。義時の命を受けた暗殺者・善児は…】
源実朝を三代鎌倉殿に、そして北条時政を執権別当に据えた新体制が始動します。
御家人たちは北条家が派手に権力を振るうのを敬遠し、実朝を北条に取り込まれたくない京の後鳥羽上皇は、側近の源仲章を鎌倉に送ります。
一方、伊豆の修善寺に追放された頼家は北条家への復讐を誓いますが、後鳥羽上皇へ北条追討の院宣を願い出たことが八田知家に発見され、義時はついに頼家を討つことを決め、暗殺者・善児たちを修善寺へと向かわせますが…
Column
登場したゆかりの地
源頼家の墓・源頼家公廟道(源氏公園内)
住所:静岡県伊豆市修善寺935
駐車場:なし
YouTuberミスター武士道的視点で“8月放送まとめ記事”
第34回 9月4日放送分【三代鎌倉殿・実朝の正室を京から迎える話が進み、義時にも新たな出会いが…】
成長した三代鎌倉殿・源実朝と後鳥羽上皇の従姉妹・千世との婚姻が決まります。しかし北条の台頭を快く思わない上皇や源仲章、慈円らは策略を巡らします。
鎌倉ではなぎなたや弓、政(まつりごと)の講釈、処世の術など、宿老たちによる実朝への教育もはじまりました。
また北条時政から「惣検校職」の役目を返上するよう求められた畠山重忠は、憤りを隠せず、北条義時に相談。ここにも新たな火種が生まれます。
そして義時自身にも文官・二階堂行政の孫娘のえとの新たな出会いが…
第35回 9月11日放送分【実朝の妻となる千世が鎌倉に到着。息子・政範の京での怪死に心痛める母りくは…】
三代鎌倉殿・源実朝の妻となる千世が京から鎌倉へ到着。一行を率いて凱旋するはずだった北条時政の息子・政範は京で急死してしまいました。
失意の母親・りくに、娘婿で後鳥羽上皇とも通じる平賀朝雅が、畠山重忠の嫡男・重保が政範怪死に関わっているという讒言を吹き込みます。
一方、重保は京での朝雅の怪しい振る舞いを北条義時に相談、義時は父・時政の暴走をいさめます。
しかし、りくは朝雅の言葉を受け、重保を逆恨みし、畠山討伐を時政に懇願します。一触即発の危機を回避するため、義時は重忠のいる武蔵国へ向かい…
第36回 9月18日放送分【和田義盛の説得もむなしく、畠山重忠の乱が勃発。重忠と北条義時、互いに引けない戦いの行く末は…】
三代鎌倉殿・源実朝より下文へ花押をもらった執権・北条時政は畠山重忠を討つべく、御家人を招集。重忠の嫡男・重保を人質にとるよう命じます。
由比ヶ浜に誘い出された重保は抵抗し、三浦義村たちは重保を殺めざるを得なくなります。愛息への騙し打ちを知った重忠は二俣川の手前から鶴ヶ峰へ兵を進め、陣を敷きます。和田義盛が戦回避の説得に向かいますが、重忠の意思は固く、決戦の火蓋が切られます。
重忠は義時の息子・泰時を狙うと見せかけ、義時をおびき出します。やがて二人は壮絶な一騎打ちに。重忠の運命は。そして乱によって激化する北条家内の対立の行方は…
Column
登場したゆかりの地
畠山重忠公碑
住所:神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目
駐車場:なし
連絡先:045-954-6095
Column
登場したゆかりの地
矢畑・越し巻き
住所:神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目
駐車場:なし
連絡先:045-954-6091
Column
登場したゆかりの地
六ツ塚
住所:神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町2丁目
駐車場:なし
連絡先:045-954-6091
第37回 9月25日放送分【激化する北条親子による主導権争い。新鎌倉殿擁立計画、その顛末は…】
実の父である執権・北条時政の排除を決意した義時は、政子や大江広元らと新体制を始動します。
一方、りくは夫・時政が蚊帳の外に置かれたことに憤慨。三浦義村を誘い、反撃ののろしを上げます。ますます激化する北条家内の対立。
そんな中で、義時と政子の前に突然、時政が酒と肴を持って現れ、ひととき家族の酒宴が催されます。それは懐かしいかつての団欒を思わせるものでした。
やがて時政は、義村に命じて鎌倉殿・源実朝の身柄を自身の屋敷に移させ、実朝に出家して鎌倉殿の座を娘婿・平賀朝雅に譲るよう迫りますが…
Column
登場したゆかりの地
建長寺
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内8
駐車場:あり(乗用車20台、600円)
連絡先:0467-22-0981
Column
登場したゆかりの地
円覚寺
※舎利殿は通常一般非公開となっています
住所:神奈川県鎌倉市山ノ内409
駐車場:なし
連絡先:0467-22-0478
YouTuberミスター武士道的視点で“9月放送まとめ記事”
第38回 10月2日放送分【二代執権・北条義時が誕生!後鳥羽上皇との苛烈な戦いへ…】
執権・北条時政は、鎌倉殿・源実朝を屋敷へ連れ込み、鎌倉殿の座を娘婿・平賀朝雅へ譲るよう迫ります。
一方、義時は息子・泰時、弟・時房、八田知家らを率い、時政の屋敷を包囲します。
進退きわまった時政は三浦義村に頼んで、妻のりくを逃し、実朝を解放。自ら首を斬ろうとしたところを止められ、剃髪。時政とりくは伊豆への流罪を言い渡されます。
こうして初代執権・北条時政は鎌倉を去り、義時が漆黒の衣をまとい、二代執権の座に就くこととなり…。
Column
登場したゆかりの地
守山八幡宮
住所:静岡県伊豆の国市寺家1204-1
Column
登場したゆかりの地
願成就院
源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、北条時政が建立しました。歴史書「吾妻鏡」には、時政から三代執権北条泰時まで伽藍が整えられた様子が記されています。
時政が建立した大御堂と南塔、二代執権北条義時が亡父時政公供養として建立した南新御堂、三代執権北条泰時による北塔の建立など、堂塔伽藍の造営は北条氏三代にわたります。
そして、承久2年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする旨が朝廷よりくだされ、この地に「浄土様式」の壮大な寺院が完成しました。昭和48年(1973)に、境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡になっています。
住所:静岡県伊豆の国市寺家83-1
Column
登場したゆかりの地
北条時政の墓(願成就院内)
願成就院は時政が創建した氏寺であり、国宝の運慶作5体の仏像が安置されている。
伊豆国北条に館を構えていた伊豆の有力豪族の一人。源頼朝の岳父となり、頼朝の挙兵を助けて鎌倉幕府の成立に貢献し、幕府初代執権に就任した。北条氏繁栄の礎となり、建保3年(1215)78歳で没した。
住所:静岡県伊豆の国市寺家83-1
第39回 10月16日放送分【北条義時による政(まつりごと)の改変が進み、御家人たちは不満を募らせ…】
二代執権・北条義時は大江広元とともに、政(まつりごと)を改め、御家人たちが謀叛を起こさないような仕組みを作り始めます。しかし、御家人たちはその強引な手法に不満を募らせていました。
一方、三代将軍・源実朝は、政子らが世継ぎの誕生に気を揉むのをよそに、自らの境遇に苦悩していました。
そんななか、源頼家の実子・公暁が上洛。歴史上の大事件が目前に迫ります。
Column
登場したゆかりの地
鶴岡八幡宮
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
駐車場:あり(普通車40台、1時間まで600円 以降30分毎300円)
連絡先:0467-22-0315
第40回 10月23日放送分【義時は和田義盛の討伐を画策 政子や実朝は戦の回避に向けて奔走するが…】
京の閑院内裏修復を鎌倉に負わせようとする後鳥羽上皇の命令に対し、和田義盛を中心に鎌倉の御家人たちは猛反発します。
二代執権・北条義時は多くの御家人から頼りにされる勇猛果敢な義盛の存在がいずれ障害となることを憂え、義盛の追い落としを画策します。
信濃で義時の命を狙った暗殺計画が露見し、それに義盛の親族が関わったことを理由に、義時は盟友・三浦義村とともに、義盛を追い詰めていきます。
一方で、実朝や北条政子による戦回避への説得が効を奏し、一度は矛を収めることで事態は収拾しますが…。
Column
登場したゆかりの地
光念寺
住所:神奈川県三浦市三崎1-18-1
駐車場:あり
連絡先:046-881-2604
第41回 10月30日放送分【鎌倉最大の戦「和田合戦」勃発!実朝は和田義盛の助命のため陣頭に立ちますが…】
実朝や政子の尽力によって、一度は回避された和田義盛との戦。しかし帰宅が遅れたことから、父・義盛の安否を気遣う息子らが、御所を目指し、決起します。
こうして鎌倉最大の激戦と言われる和田義盛の乱「和田合戦」が勃発。鎌倉御所や若宮大路を戦場に一進一退の攻防が繰り広げられます。
三浦義村、八田知家ら有力御家人の寝返り、そして西相模の御家人たちの寝返りにあって和田勢は劣勢に。義盛は騙し討ちにあい、落命します。
鎌倉随一の忠臣・義盛を失った実朝の落胆は激しく、今後は後鳥羽上皇を頼りとし、自らの政を進めると宣言。義時との対立を深め…
Column
登場したゆかりの地
和田塚
住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜2-19-1
駐車場:なし
連絡先:0467-23-3000
Column
登場したゆかりの地
善栄寺
住所:神奈川県小田原市栢山868
駐車場:あり
連絡先:0465-36-0504
第42回 11月6日放送分【鎌倉殿・実朝と執権・義時との溝はより深くなり、実朝が夢見た宋へと渡る唐船建造計画は…】
忠臣・和田義盛を失った実朝は、後鳥羽上皇を手本に自ら政(まつりごと)を進めると宣言。泰時を傍に新しい鎌倉へ舵を切りはじめます。
義時は鎌倉での地位を磐石なものとし、執権を名のるように。そして実朝の決意を苦々しく感じ、彼らの施策をことごとく牽制します。
こうした実朝と義時との亀裂に一計を案じる政子。また京より戻った源仲章は、実朝に宋の技術者・陳和卿を引き合わせます。
仲章に進言され、実朝は夢に見た船の建造を決意。由比ヶ浜で渡宋計画のための巨大な唐船の建造が進みますが…。
第43回 11月13日放送分【朝廷から鎌倉殿の後継となる親王を迎える話が進む中、それぞれの思惑が複雑に絡み合い…】
実朝に嫡男が誕生せず、鎌倉殿の後継者問題が混迷するなか、二代将軍・頼家の次男、公暁が京での修行を終えて鎌倉に帰還。公暁は、次期鎌倉殿になる野望を胸に、乳母夫にあたる三浦義村と策をめぐらします。
その思いをよそに、実朝が「朝廷の血筋から後継将軍を迎えたい」と主張すると、義時らが反発。
そして後鳥羽上皇からの知らせにより、頼仁親王が実朝の後継者となることが決まります。
Column
登場したゆかりの地
明王院
住所:神奈川県鎌倉市十二所32
連絡先:0467-25-0416
第44回 11月20日放送分【実朝の右大臣拝賀式へ向けて、公暁、義時、仲章らそれぞれの思いが激しく交錯し…】
後鳥羽上皇より右大臣に叙されることとなった源実朝。政子ら北条家が浮き立つ中、拝賀式当日を迎えます。
一方、千日の参籠を行う公暁は、鎌倉殿となる野望を抱き続けており、三浦義村に拝賀式で実朝を討つことを宣言します。
公暁の強い怨嗟を訝しんだ実朝は、兄・頼家の死に深く北条家が絡んでいることを知り愕然とします。公暁に詫びますが、公暁の心は変わりませんでした。
源仲章の暗躍、北条泰時の憂慮。雪の降り積もる八幡宮の大階段を舞台に、鎌倉時代最大の悲劇の幕が切って落とされようとしています。
Column
登場したゆかりの地
覚園寺(かくおんじ)
住所:神奈川県鎌倉市二階堂421
駐車場:なし
連絡先:0467-22-1195
YouTuberミスター武士道的視点で“10月放送まとめ記事”
第45回 11月27日放送分【鎌倉最大の悲劇。鶴岡八幡宮、雪の大階段から、鎌倉はまた新たな激動期を迎え…】
北条泰時らが警護する中、雪の鶴岡八幡宮で実朝の右大臣拝賀式が執り行われます。
銀杏の木の陰に身を隠す公暁。儀式を見守る三浦義村。義時もまた太刀持ちを外され、自らの命運を賭け、事態を階下から静観していました。
そして牡丹雪が降り積もる中で公暁により突然おこなわれた凶行。和歌を愛した心やさしき三代鎌倉殿・実朝は兇刃に倒れました。
鎌倉への不信感を募らせる後鳥羽上皇。頼仁親王を次期鎌倉殿とするかどうか。義時と後鳥羽上皇らとの新たな駆け引きが始まります。
Column
登場したゆかりの地
鶴岡八幡宮
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
駐車場:あり(普通車40台、1時間まで600円以降30分毎300円)
連絡先:0467-22-0315
Column
登場したゆかりの地
源実朝公御首塚
住所:神奈川県秦野市東田原1018-2番地
駐車場:なし
連絡先:0463-82-9648
YouTuberミスター武士道的視点で“11月放送まとめ記事”
第46回 12月4日放送分【後鳥羽上皇と義時の駆け引きが激化。そんな折、尼御台・政子がある決意を…】
実朝、公暁の死によって源氏の嫡流は、阿野全成と実衣の長男、阿野時元だけとなり、母の実衣は愛息を次の鎌倉殿にと画策します。
しかしそれは三浦義村と義時の罠で、挙兵を試みた時元は義時の差し向けた兵に包囲され自害、実衣も牢に幽閉されてしまいます。
一方、朝廷から迎える鎌倉殿は、僧・慈円の身内でもある2歳の三寅に決まり、その元服まで執権として義時が鎌倉を治めると宣言しますが政子はそれに反対。自身が鎌倉殿の代わりとして尼将軍になると決意し、囚われの妹・実衣の放免を実現し…
第47回 12月11日放送分【義時と後鳥羽上皇の駆け引きはもつれ、ついに鎌倉最大の危機へ。そして北条政子の大演説が始まる…】
朝廷の内裏が焼け落ち、その再建費用を日本中の武士たちから徴収すると後鳥羽上皇は決めました。
要求を先送りすることにした鎌倉に業を煮やした後鳥羽上皇は、御家人たちに義時を朝敵として追討するよう命じ、鎌倉の分断を謀ります。
上皇の院宣に混乱する鎌倉。義時は一人、自らの命と引き換えに、鎌倉を守ろうと覚悟し、御所に御家人たちを招集します。
恭順か戦闘か。決断を迫られる鎌倉で、尼将軍・北条政子が御家人たちの前で演説を行い…
第48回 12月18日放送分【承久の乱に勝利!泰時が新たな武士の世を思い描く一方、義時が受ける「報い」とは!?】
承久の乱は、北条泰時が幕府の総大将として快進撃を続け鎌倉方の勝利に終わりました。
北条義時は、後鳥羽上皇を隠岐へ流罪とし、泰時、時房を朝廷の動きを監視する六波羅探題として、京都に駐留させました。
乱の平定から三年後、義時は体調を崩し、京より取り寄せた「薬草を煎じた飲み薬」を妻ののえから勧められますが、改善は見られず悪化。見舞いに訪れた政子としばし来し方のことを語り合いますが、ついに昏倒してしまいます。