江戸と明治の面影を伝える東海道松並木【歴旅コラム】
INDEX
大磯の東海道松並木
大磯の東海道松並木は、旧東海道化粧坂・山王町約670m、大磯中学校前(約430m)、大磯警察署前(約230m)の旧東海道3ヶ所にあります。特に、大磯中学校前から西側は、東海道屈指の松並木として全国的にも知られ、新春の箱根駅伝平塚中継所でタスキを継ぐと、上空より「旧東海道松並木を通過します」と紹介される所でもあります。
大磯中学校より、滄浪閣(伊藤博文邸跡)にかけての松並木は、江戸時代の面影を色濃く残しています。小田原方面への車道幅、左右の緑地幅は、ほぼ、江戸時代の街道のままで、道路舗装、縁石、フェンスなどが無ければ、昔にタイムスリップした様な錯覚に陥る場所でもあります。
一方、反対側の平塚方面への車線は昭和初期に造られました。中学校の校門付近には、樹齢約400年の黒松の大木があり、幹回り胸高で約4m3cm。あまりの太さに圧倒されます。 ここに身を寄せてみましょう。まさに、大名行列、旅人などの江戸時代の息吹が聴こえてくるかのような佇まいです。江戸時代からの生き証人、黒松は中学校の体育館より高く、頭は詰められているが、天を仰げば本来ならばどの位の樹高なのか皆目解りません。真っ直ぐに伸びた樹体は、長い年月の力強さを感じさせてくれます。
徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した慶長5年(1600年)から、本格的に軍事道路として東海道が整備され、翌年には東海道に宿駅制度が設けられ、一里塚の設置と共に、街道筋には松やエノキなどが植えられました。松並木は街道を往来する旅人の道しるべとなり、夏の日差しを避ける日陰をつくり、風雨から身を守ったり、旅人達の休息の場にもなったのでしょう。
徳川家康が関ヶ原の合戦で勝利した慶長5年(1600年)から、本格的に軍事道路として東海道が整備され、翌年には東海道に宿駅制度が設けられ、一里塚の設置と共に、街道筋には松やエノキなどが植えられました。松並木は街道を往来する旅人の道しるべとなり、夏の日差しを避ける日陰をつくり、風雨から身を守ったり、旅人達の休息の場にもなったのでしょう。
旧東海道化粧坂・山王町の松並木は、6、7m 程の幅の車道の両脇に緑地帯があり、約670mの長さに渡り松やエノキ などが植えられています。化粧坂区域は、今でも多くの日陰がつくられ、旅人は化粧井戸、一里塚で一息ついて大磯宿に向かったのでしょう。続く山王町地区も同様に松並木がそのまま残っており、江戸見附跡を過ぎると、やっと大磯宿に入ったとの実感が湧くところです。
旧吉田邸から東海道を西へ、大磯警察署周辺の旧東海道松並木も、江戸時代の道幅や土塁そのままに、かつての雰囲気を今に伝えています。
今般、「元勲通り」と呼ばれている、滄浪閣近くの 松並木沿いに、明治の立憲 政治確立に貢献した伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望らの邸宅並びに邸宅跡を含めた歴史的遺産が、「明治記念大磯邸園」として新たに部分開園しました。全面開園は2024年の予定です。
このように明治時代の面影を残した松並木は、景観が保護されるとともに、大磯の新しい顔として、装い新たにスタ ートいたしました。ぜひ皆さんのお越しをお待ちしております。
この「東海道松並木」と「明治記念大磯邸園」へのアクセスは、JR 大磯駅から徒歩約15分です。詳しくは明治記念大磯邸園 HP をご覧ください。
https://www.meijikinen-oiso.jp/
記事提供:NPO法人 大磯ガイド協会
(記事公開日:2020/12/18)