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東海道大磯宿をゆく【歴旅コラム】

東海道大磯宿をゆく【歴旅コラム】

大磯は古代より伝説に富んだ宿場で、海岸線は「小淘(こゆる)綾(ぎ)(小余(こよろ)綾(ぎ))の磯」といい、万葉集にも詠まれてきた景勝の地です。江戸時代、大磯宿は東海道五十三次の八番目の宿駅として、徳川幕府の交通制度を支えました。さらに、社寺などの観光名所もあり、大いに賑わったといわれています。今回は、名所・旧跡を巡りながら、東海道大磯宿を西(上方)から東(江戸方)に辿ってみましょう。

東海道には、徳川幕府の命により街道整備として松や杉が植えられました。大磯には、今に残る旧東海道松並木があります。伊藤博文の邸宅跡などの歴史的遺産がある明治記念大磯邸園から大磯中学校に沿った約300mの間には、樹齢300年を超える黒松も残っており、「新・日本街路樹100景」にも選ばれています。
東海道松並木

宿場の出入口であった上方見附跡から坂を下ると、江戸時代に大磯第一の名所であった鴫立庵があります。元禄年間から300年以上続く俳諧道場であり、湘南発祥の地を示す標石や西行法師や虎御前などの遺跡があり、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも「鴫立沢にいたり、(中略)西行の像にむかひて、われわれも天窓(あたま)を破(は)りて歌よまん」と鴫立庵が登場しています。

  • 鴫立庵
大磯宿には参勤交代の大名や幕府役人などが宿泊する本陣が三箇所ありました。本陣跡を過ぎると、『曾我物語』のヒロイン・虎御前が庵を結んだのが始まりといわれる延台寺があります。この寺には曽我兄弟霊像、十郎身代わり虎御石などがあり、江戸時代、延台寺の前の東海道に面して虎ケ石(虎御石のレプリカか)が置かれており、葛飾北斎、歌川広重らも筆にしており、『東海道中膝栗毛』にも登場するなど東海道の名物石といわれ、江戸で大評判になりました。
  • 虎御石(延台寺)
虎御石の標識(延台寺入口)

宿場を東に向かい、山王町で旧東海道に入ります。江戸見附跡から、虎御前ゆかりの化粧坂(けわいざか)にさしかかります。歌川広重画になる『東海道五十三次之内大磯虎ケ雨』には、江戸見附をはじめ小淘綾の磯と松、高麗山、街道を往く人と馬、宿場の家並と樹木が巧みに描かれています。「虎が雨」とは虎御前が十郎を偲び流した涙であるといわれており、歳時記の夏の季語になっています。

街道ツアーの終着点となる旧高麗寺(現在の高来神社)は、江戸時代に100石の御朱印地となり、東照大権現を勧請し、東叡山寛永寺の末寺となりました。化粧坂を下り高麗寺村領に入る所に境界を示す寺領傍示杭が立ち、その脇に下馬標がありました。参勤交代の大名も下馬し、東照大権現の祀られている高麗寺一の鳥居前で最敬礼して、行列の毛槍も低く下げ静かに寺領内を通り、平塚宿に入ってから行列を整えたと伝えられています。

旧高麗寺(現高来神社)

記事提供:NPO法人 大磯ガイド協会

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