柏尾通大山道をゆく【歴旅コラム】
旧東海道の柏尾追分不動尊辺りから大山へ向かう道が柏尾通大山道だ。藤沢、綾瀬を過ぎ、用田辻の先で目久尻川を渡ると海老名に入る。柏尾通大山道は横浜伊勢原線(県道22号線)とほぼ並行した『自然と歴史のさんぽみち』としてはしる。
右手の高台に蘇生延寿の鐘で有名な寿閑寺がある。鎌倉仏師三橋氏の手による文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像は市の指定重要文化財だ。先を行くと道祖神、そして「左大山道」と道標を兼ねた地神塔、「左大山道、右かしを道」とある下谷津の庚申塔を目にし、旧道の名残を感じながら本郷神社から南下する。地元の人たちに手厚く守られ堂宇の中におわす不動明王像を過ぎてさらに南下すると「居合」という名の残る地、居合の双体道祖神の先には居合坂の<柏尾通り大山道>の案内板がある。
案内板には「この道は、江戸時代の『大山道』です。庶民の信仰を集める大山へお参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道を通り、相模川を渡り、大山へとむかいました。」とある。この辺りからは大山が眼前に見える。
大山はまだ先とはいえ、旅人の気分も高揚しただろう。ここを過ぎると、しばらく当時を偲ぶものはない。大山を見ながら古き良き時代を田畑に囲まれた風景を思い浮かべたいものだ。
永池川にかかる橋を過ぎると、高札場の跡を通る。ここから相模川までの道中には、長谷川家(小説『鬼平犯科帳』の主人公長谷川平蔵は分家筋の一人だ)の菩提寺、浄久寺がある。市の指定重要文化財の定朝様式木造阿弥陀如来坐像は市内最古仏といわれている。境内には長谷川家の大型石造宝篋印塔群が15基現存する。
そして渋谷神社の別当寺であった正覚寺もこの道に沿って建つ。市指定重要文化財の木造十一面観音坐像をはじめ多くの仏像を有している。高札場跡、浄久寺、正覚寺のある門沢橋には、かつては旅籠・茶屋などがありにぎわいのある場で、客を引くために船頭に酒を振舞って川止めにした・・・という話も残っている。また、歌川(安藤)広重もこの地を訪れ、扇子絵『相州大山道中戸田川之渡』を描いている。
右手の高台に蘇生延寿の鐘で有名な寿閑寺がある。鎌倉仏師三橋氏の手による文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像は市の指定重要文化財だ。先を行くと道祖神、そして「左大山道」と道標を兼ねた地神塔、「左大山道、右かしを道」とある下谷津の庚申塔を目にし、旧道の名残を感じながら本郷神社から南下する。地元の人たちに手厚く守られ堂宇の中におわす不動明王像を過ぎてさらに南下すると「居合」という名の残る地、居合の双体道祖神の先には居合坂の<柏尾通り大山道>の案内板がある。
案内板には「この道は、江戸時代の『大山道』です。庶民の信仰を集める大山へお参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道を通り、相模川を渡り、大山へとむかいました。」とある。この辺りからは大山が眼前に見える。
大山はまだ先とはいえ、旅人の気分も高揚しただろう。ここを過ぎると、しばらく当時を偲ぶものはない。大山を見ながら古き良き時代を田畑に囲まれた風景を思い浮かべたいものだ。
永池川にかかる橋を過ぎると、高札場の跡を通る。ここから相模川までの道中には、長谷川家(小説『鬼平犯科帳』の主人公長谷川平蔵は分家筋の一人だ)の菩提寺、浄久寺がある。市の指定重要文化財の定朝様式木造阿弥陀如来坐像は市内最古仏といわれている。境内には長谷川家の大型石造宝篋印塔群が15基現存する。
そして渋谷神社の別当寺であった正覚寺もこの道に沿って建つ。市指定重要文化財の木造十一面観音坐像をはじめ多くの仏像を有している。高札場跡、浄久寺、正覚寺のある門沢橋には、かつては旅籠・茶屋などがありにぎわいのある場で、客を引くために船頭に酒を振舞って川止めにした・・・という話も残っている。また、歌川(安藤)広重もこの地を訪れ、扇子絵『相州大山道中戸田川之渡』を描いている。
この道沿いにある旧門沢橋村の鎮守・渋谷神社の夏の例大祭では、神輿の担ぎ手が神輿を担いで相模川に入り禊を行い、その後、宮入前に街道沿いに燃える藁の束を踏んで通る習わしが今も残る。大山明王太郎(大山流神輿の棟梁)により修復されたいわれる神輿自体の荘厳さもだが、火渡りもまた圧巻だ。
道のつきあたりに 当時の川船の様子が描かれた案内板と「大山講中」銘のある不動明王像と一体化している道標が迎えてくれる。そこから、川辺までは僅かの道のり、船着き場から木船で厚木の戸田へ、そして、大山へと道は続く。
記事提供:NPO法人 海老名ガイド協会