大山道の終結地を歩く【歴旅コラム】
青山道、柏尾道(戸田道)、田村道など多くの大山道は伊勢原の石倉地区で集結しています。
奈良時代には大山寺が築かれ、平安時代にまとめられた『延喜式』には、大山阿夫利神社が記載されるように、大山は古くから信仰の地とされていました。徳川家康により山を下ろされた修験者は、宿坊を営む御師(先導師)等となり大山の石尊権現、不動明王を参拝する布教に努めました。この様な背景と江戸からも近い事から、五穀豊穣、商売繁盛を願う多くの参拝客が「大山詣り」として訪れることになりました。
江戸時代に参拝客で賑わった大山へは、下記の様な各地からのルートが有りました。
① 青山通り大山道=(青山道)赤坂見附~青山~二子の渡し~溝ノ口~長津田~海老名 ~厚木の渡し~石田~下糟屋~上粕屋~石倉~大山(咳止め地蔵までは矢倉沢往還と同じ道を通る・国道 246 号線と近い)
② 柏尾通り大山道=(柏尾道又は戸田道)東海道下柏尾~和泉~長後~用田~ 戸田の渡し~上落合~下糟屋~上粕屋~石倉~大山
③ 田村通り大山道=(田村道)東海道藤沢宿四谷~一宮~田村の渡し~大島~伊勢原~片 町~石倉~大山
④ 八王子通り大山道=前橋・熊谷方面から~八王子~橋本~田名の渡し~荻野新宿~ 小野~岡津古久~富岡~石倉~大山
⑤ 吉野口大山道=甲州街道から吉野宿~青野原~宮ケ瀬~煤ケ谷~七沢~日向~ 石倉~大山
奈良時代には大山寺が築かれ、平安時代にまとめられた『延喜式』には、大山阿夫利神社が記載されるように、大山は古くから信仰の地とされていました。徳川家康により山を下ろされた修験者は、宿坊を営む御師(先導師)等となり大山の石尊権現、不動明王を参拝する布教に努めました。この様な背景と江戸からも近い事から、五穀豊穣、商売繁盛を願う多くの参拝客が「大山詣り」として訪れることになりました。
江戸時代に参拝客で賑わった大山へは、下記の様な各地からのルートが有りました。
① 青山通り大山道=(青山道)赤坂見附~青山~二子の渡し~溝ノ口~長津田~海老名 ~厚木の渡し~石田~下糟屋~上粕屋~石倉~大山(咳止め地蔵までは矢倉沢往還と同じ道を通る・国道 246 号線と近い)
② 柏尾通り大山道=(柏尾道又は戸田道)東海道下柏尾~和泉~長後~用田~ 戸田の渡し~上落合~下糟屋~上粕屋~石倉~大山
③ 田村通り大山道=(田村道)東海道藤沢宿四谷~一宮~田村の渡し~大島~伊勢原~片 町~石倉~大山
④ 八王子通り大山道=前橋・熊谷方面から~八王子~橋本~田名の渡し~荻野新宿~ 小野~岡津古久~富岡~石倉~大山
⑤ 吉野口大山道=甲州街道から吉野宿~青野原~宮ケ瀬~煤ケ谷~七沢~日向~ 石倉~大山
この他にも大山道は色々とあります。また、御殿場方面からの「富士浅間道大山道」や 「六本松通り大山道」などは、秦野から石倉は寄らずに直接大山へ向います。現在では大山へ参拝の場合はバスなどで通過していますが、江戸を中心とした関東方面からの主要な大山道の集結地は上記の様に石倉にあり、ここからは一本道で大山を目指す事になります。(新東名やバイパス工事で移転しましたが)集結地周辺の大山道をご覧ください。
集結地の石倉の不動堂に鎮座する江戸時代作の半跏の不動尊です。
新東名工事で移転され仮住まい中の不動尊道標です。石倉から大山へは一本道となるので大山への案内用ではなく「大山詣で」からの帰りの参拝者の為に建てられた道標です。
田村道の五霊神社脇に有った江戸時代に建てられた万成石で作られた鳥居です。トラックに衝突され破損したものを地元有志により移転、再建されたものです。
これらの他、この辺りには大山道の東側にある上杉氏館の空堀の水源に使われたとも伝わる「千石用水」、その上杉の館で主君により暗殺された「太田道灌の墓所」がある洞昌院、かっての代官所でもあった古民家で国の登録有形文化財の「山口家」など見所が色々有ります。
大山の山容を目の前に「大山詣り」のルートを巡り、これらの旧跡や路傍に残る石造物等に、江戸時代に賑わった大山道の痕跡を辿る事ができます。
記事提供:いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会