川崎のイタリア!?ラ チッタデッラ【歴旅コラム】
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ラ チッタデッラ
JR川崎駅東口を出て5分、京急電鉄の線路に面したところに外国を思わせるようなワクワクするような街が。 ここは「ラ チッタデッラ」と呼ばれています。
この街には、首都圏最大級のシネマ・コンプレックス「チネチッタ」、高々と上がる噴水、フットサルコートを核とした新たなエンターテインメントエリア「アレーナ チッタ」、おしゃれなレストラン、ライブホール「クラブチッタ」などがあります。
休日ともなるとシネコンには映画好きが集まり、フットサルコートでは若者がスポーツを楽しみ、レストランにも多くの人があふれています。
この街には、首都圏最大級のシネマ・コンプレックス「チネチッタ」、高々と上がる噴水、フットサルコートを核とした新たなエンターテインメントエリア「アレーナ チッタ」、おしゃれなレストラン、ライブホール「クラブチッタ」などがあります。
休日ともなるとシネコンには映画好きが集まり、フットサルコートでは若者がスポーツを楽しみ、レストランにも多くの人があふれています。
「ラ チッタデッラ」の前身は、日暮里を拠点に映画館事業を展開していた美須興行が、昭和11年(1936年)につくった市内初の「川崎映画街」です。昭和14年(1939年)までに「川崎銀星座」を皮切りに映画館を次々オープン。昭和20年(1945年)に本土大空襲のためほぼ全ての映画館を焼失しましたが、直ちに復興計画を練り、川崎銀星座をオープンしました。以降、川崎の戦後復興に大きく貢献し、映画街として、さらには一大娯楽文化エリアとして賑わいました。
昭和60年(1985年)、この一帯はカワサキ・ミスによる再開発事業が進められ、昭和62年(1987年)、シネマ・コンプレックスの先駆けとなる「チネチッタ」、翌年には大型ライブホール「クラブチッタ」がオープン。平成14年(2002年)11月には複合商業施設として「ラ チッタデッラ」が完成したのです。
昭和60年(1985年)、この一帯はカワサキ・ミスによる再開発事業が進められ、昭和62年(1987年)、シネマ・コンプレックスの先駆けとなる「チネチッタ」、翌年には大型ライブホール「クラブチッタ」がオープン。平成14年(2002年)11月には複合商業施設として「ラ チッタデッラ」が完成したのです。
「ラ チッタデッラ」中心部にある噴水
「ラ チッタデッラ」はイタリアのヒルタウン(丘の上の街)をモチーフに作られました。小道や噴水がロマンチックな雰囲気を醸し出しています。中央のチネチッタ前にある噴水は、高さが最大15mにも吹き上がり、合わせて流れる曲も毎回変わり、この音楽に合わせて噴水の高さが踊るように変化することで見る人を楽しませてくれます。また夜間はライトアップされ、ロマンチックで一見の価値があります。
「ラ チッタデッラ」は、秋に仮装コンテストで有名な「カワサキ ハロウィン」(KAWASAKI Halloween)パレードのスタート・ゴール地点となっており、またメイン会場でもあります。開催日にはコンテストに参加する人や団体、たくさんの見物客で歩くのも大変なほど賑わいます。
江戸時代に東海道の宿場町として発展を始めた「川崎」は、明治、大正、昭和 には工業都市として変貌しましたが、昭和中期には環境汚染で問題になったこともありました。
今の川崎は、多摩川河口や湾岸地域に環境・遺伝子など各種研究開発企業の誘致に力を入れています。一方、「ラ チッタデッラ」のように現代的な、文化情報発信地としても賑わっています。
記事提供:NPO法人 かわさき歴史ガイド協会
(記事公開日:2020/11/17)