鎌倉武士も見ていた?横浜市港北区の絶景【歴旅コラム】
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横浜市港北区の絶景
かつて源頼朝が鎌倉に幕府を開き、有事の際には地方に在住する源氏の武将が「いざ鎌倉!」と駆け付けた街道が鎌倉街道である。鎌倉街道はその後も関東の要路として度々、歴史に登場するが、現在でも関東の幹線道路として利用されている。上の道、中の道、下の道の3本の鎌倉街道が知られているが、その中の下の道についてご紹介したい。下の道は鶴岡八幡宮から朝比奈切通しを経て横浜市港北区、丸子など東京湾沿岸を通り、浅草から松戸、そして常陸国方面へ続くといわれている。
この鎌倉街道下の道を鎌倉から北上すると、横浜市港北区の篠原・菊名辺りで尾根を通過するが、この尾根は多摩丘陵の東端に当たる下末吉台地に位置し、昔から風光明媚な地であった。
この鎌倉街道下の道を鎌倉から北上すると、横浜市港北区の篠原・菊名辺りで尾根を通過するが、この尾根は多摩丘陵の東端に当たる下末吉台地に位置し、昔から風光明媚な地であった。
尾根の中程にある篠原八幡神社は、建久3年(1192年)に鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して創建されたと伝わる。祭神は応神天皇で、冬至の朝には八幡神社の鳥居の間から朝日が差し込んで拝殿を照らし、拝殿奥の鏡に光が反射する光景は幻想的である。
鎌倉武士団が鎌倉から在地へ帰国の折りには、右手に海が広がり、(今ではランドマークタワーなどみなとみらいのビル群)、左手には大山をはじめとする丹沢山系、その背後には富士山がそびえ、その奥には南アルプスの北岳、間ノ岳と日本の高山1位から3位の山々を望みながら行軍することになる。鎌倉武士はこの尾根を通過するときには、左右に広がる絶景を見て、さぞかし気持ちが癒されたことであろう。今ではこの街道の両側は住宅街となっているものの、当時から変わらず今も絶景の地である。冬の朝には家々の間から富士山や丹沢山系、そして冠雪の南アルプスの山並みを望む風景は地元の人の誇りとなっている。
菊名駅に向かってしばらく歩くと今度は左手にひときわ高い円筒形のビルが見える。新横浜のプリンスホテルだ。そしてその前方には、戦国時代、小田原北条氏に仕えた金子出雲守の居城・篠原城跡の丘陵地が広がる。金子出雲守は小机衆として、「小田原衆所領役帳」にも武士団の棟梁として名前が見える。篠原城は小机城の支城として、江戸方面から侵入する敵を防衛する役目を負っていたものと思われるが、小田原北条氏が滅んだあとも金子氏は郷士としてこの地にとどまった。このように篠原から菊名にかけての尾根を通る鎌倉街道下の道は、鎌倉時代から戦国時代、江戸時代と幾重にも重なる歴史の道である。この道を歩きながら風景を愛でるもよし、歴史に浸るもよし、の手軽な散歩道である。ぜひお出かけいただきたい。
記事提供:NPO法人 神奈川歴遊クラブ
(記事公開日:2020/11/17)