日向(ひなた)渓谷の風景【歴旅コラム】
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日向渓谷
日向渓谷とは、日向薬師バス停から大山に至る林道沿いの道で、歴史遺産が数多く残るこの裏古道は、大山の表参道の賑わいとは違い、静かで落ち着いた渓谷だ。この渓谷には、浄発願寺、石雲寺(日本遺産)、浄発願寺奥の院、大山登山口(九十九曲)などがある。
日向バス停から日向林道に入りしばらく歩くと、緑の渓谷の中に三重の塔(浄発願寺)が見えてくる 。浄発願寺は、現在地より上流の奥の院と呼ばれる場所に建っていたが、山津波で壊滅し現在の地に再建された。
日向バス停から日向林道に入りしばらく歩くと、緑の渓谷の中に三重の塔(浄発願寺)が見えてくる 。浄発願寺は、現在地より上流の奥の院と呼ばれる場所に建っていたが、山津波で壊滅し現在の地に再建された。
さらに進むと石雲寺(日本遺産)の山門が見える。石雲寺の境内には、壬申の乱に敗れこの地に逃れた大友皇子の墓がある。鎌倉時代に大友皇子の従者の子孫によって建てられたという五層の石塔がある。石雲寺には大友皇子の位牌も安置されている。大友皇子は明治に入って弘文天皇と追号され歴代天皇に列せられた。大友皇子の墓はここより下流の御所の森にあったが、損傷が激しく石雲寺の住職により、2020年に寺の境内に移された。元あった御所の森には、本物と同じ石材を使用し再現したレプリカの墓が置かれている。
石雲寺には、この地を所領していた北条玄庵の朱印状も残されている。石雲寺の山号は、大山寺と同じ「雨降山」であり、大山の山頂にある石尊社も祀られている。本堂に入ると、今は珍しいヤモリにも出会える。自然によくとけ込み癒されること間違いなしの寺だ。
さらに進むと川向こうに浄発願寺奥の院入り口がある。石段をしばらく登ると山津波で堂宇が流出し、今は廃墟となった元「浄発願寺」の奥の院跡がある。さらに登ると木食禅誓上人が修行したという岩窟がある。岩窟には上人の像を中心に、徳川、藤堂、佐竹などの諸大名の供養塔などがある。名古屋城主の徳川綱誠とその夫人が奉納した鐘楼跡や、江戸幕府から改悛させるため預かった罪人たちが、1人1段造ったという53段の石段が残る。この寺は、明治の初めまで、重罪人を除く罪人をかくまい、まともな人間に改悛させる男の駆け込み寺とも言われた。
林道を先に進むと、空気がひんやりするエリアがある。大山から湧き出る清流が、この林道と沿うように流れるためであろうか。渓谷を利用したマス釣り場やキャンプ場、クアハウスなどがあり、週末は家族連れで賑わう。
大山への登山口(九十九曲入り口)を登ると、大山の見晴台に至る。九十九曲を登りきると、等身大の勝五郎地蔵に出会う。
日向地域には、沢山の石材店があります。良質な石材(日向石)が採掘できたこともあるが、高遠から呼び寄せた石工の技術が日向の石工に伝えられた。地元日向の石工が、最初に造ったといわれるのがこの勝五郎地蔵といわれる。大山登山口の九十九曲を登りきったところに立ち、登山客を出迎える。登山道はここを境に、見晴台まで緩やかな登りになり、眺望がひらけてくる。
日向地域には、沢山の石材店があります。良質な石材(日向石)が採掘できたこともあるが、高遠から呼び寄せた石工の技術が日向の石工に伝えられた。地元日向の石工が、最初に造ったといわれるのがこの勝五郎地蔵といわれる。大山登山口の九十九曲を登りきったところに立ち、登山客を出迎える。登山道はここを境に、見晴台まで緩やかな登りになり、眺望がひらけてくる。
記事提供:いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会
(記事公開日:2020/11/17)