身代わり地蔵と白幡池公園【歴旅コラム】
身代わり地蔵
このお地蔵さんは身代わり地蔵といわれています。その昔、尾張の国から幼い兄妹が、武蔵の国の府中に住む叔父を訪ねて地蔵尊の前に来たところ、突然辻強盗が現れ太刀を振りかざして襲ってきました。兄妹が咄嗟に地蔵尊の陰に隠れたので、太刀の手許が狂い地蔵尊の首を切り落としてしまいました。そのはずみで刀が折れて刃先が辻強盗に突き刺さり返り血で地蔵尊は朱に染まってしまったが、兄妹は危うく難を逃れたと伝えられています。それ以来土地の人は「身代わり地蔵」または「血染めの地蔵」と呼び、ますます信仰するようになったとの事です。幼い兄妹の命を救った地蔵尊のご利益にあやかりたいと、子供の幸せを願って今でも花が絶えることなく供えられています。
白幡池公園
では白幡池公園に行ってみましょう。その名の通り公園の中央に白幡池があり、池の周りを散策できる道が造られベンチも置かれています。面積は 4773m2とそれほど広くはありませんが、近隣住民の憩いの場となっています。
新編武蔵風土記稿によれば、「白幡村溜井」として次のように書かれています。「村の西北の方、篠原村との境にあり、池の長さはおよそ 86 間、幅は広い所で37間、狭い所で13間あり、東北の方に流れ所々水田に注いでいる。」つまり、昔は溜池として田植えや水不足になった時などの農業用水として使われていました。大昔から地頭山(今の篠原台地あたり)の地下水が湧水となって白幡池に溜まり、そこから足洗川(今は暗渠)が流れ出て入江川に注いでいます。その後人口増加に伴い住宅が増すにつれ水田も埋められていったので、現在は用水池としての働きを失い、昭和43年(1968年)8月に横浜市白幡池公園として造り替えられました。
さて、白幡池公園を散策して奥に進んで行くと隣接して県立篠原園地がありますが、その丘の上には、平成9年(1997年)まで県知事公舎があったということはあまり知られてないかもしれませんね。昭和41年(1966年)までは内山岩太郎知事が使用していましたが、その後はほとんど使用されませんでした。現在はマンションが建っていますが、当時は高層ビルも少なく知事公舎から港方面が見えていたことでしょう。
記事提供:NPO法人 神奈川区いまむかしガイドの会
(記事公開日:2020/11/17)