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神奈川最大の自然島、城ケ島【歴旅コラム】

神奈川最大の自然島、城ケ島【歴旅コラム】

かながわの景勝50選 城ケ島と大橋

景勝50選石碑:城ケ島公園第二駐車場の入り口に立つ「かながわの景勝50選 城ケ島と大橋」の石碑。松の上に見える城ケ島大橋の景色は雄大です。

城ケ島は、三浦半島の南に位置し、神奈川県で最大の自然島です。東西約1.8キロメートル、南北約0.6キロメートルで、龍の形をしています。城ケ島が天然の防波堤として機能し、三崎の町を守ってきました。

この島のおかげで三崎はマグロ船の基地漁港として発展しました。今でも三崎と言えば、やはり「マグロ」でしょう。
  • 城ケ島大橋:マグロの町「三崎」と「城ケ島」をつなぐ 575メートルの城ケ島大橋。北原白秋の「城ケ島の雨」の詩碑の立つ遊ケ崎から見上げる大橋は圧巻です。
この城ケ島と三崎をつなぐのが、「城ケ島大橋」です。長さは575メートル。ここで何か気がついたでしょうか。五・七・五。そうです。俳句の音数です。実はこの島には、多くの歌人・俳人が訪れているのです。赤ちゃんの頃誰もが聞いた子守唄「ゆりかごのうた」の作詞者の北原白秋を始め、角川書店の創立者の角川源義、能楽師の家に生まれた松本たかし等が多くの美しい短歌や俳句を残しています。偶然か意図してかは定かではありませんが、何か不思議な橋の長さです。
  • 島の娘:城ケ島大橋を渡って島側すぐの所に小川清彦作の「島の娘」のブロンズ像があります。娘の傍らにいる鳥は、城ケ島に飛来してくる渡り鳥の海鵜です。
この橋が完成したのは昭和35年(1960年)のことで、それまでは、船で行き来しなくてはなりませんでした。そのため城ケ島には昭和45年(1970年)まで三崎小学校の分校があり、島の子ども達はそこに通っていたのです。その建物は今でも残っており、現在は「海の資料館」として見学することができます。当時の木造の校舎、当時使われた机や椅子、オルガン等、タイムスリップしたような不思議な空間が残っています。
  • 城ケ島灯台:日本で5番目に点灯した洋式灯台で、初代は関東大震災で倒壊し、現在の灯台は二代目のもの。令和元年に施されたトリックアートのおしゃれなラッピングがインスタ映えすると人気を呼んでいます。
  • 安房埼灯台:令和2年3月に新設された「安房埼灯台」。三浦特産のダイコンを思わせる形状の可愛い灯台です。城ケ島には「城ケ島灯台」と「安房埼灯台」の2基があり、日本ロマンチスト協会から「恋する灯台」として認定されており、ペア灯台として人気があります。
県立城ケ島公園の展望台に上がると、東に房総半島、南に伊豆大島、西に伊豆半島、北に三浦市最高峰の岩堂山(86.8メートル。実は神奈川県一低い)を望むことができます。

この公園の東側には、令和2年(2020年)3月に新設された「安房埼灯台」が建っています。江戸時代の初め烽火台を設置したのが起源で、昭和37年(1962年)に初点灯されてから、海を航行する船舶の安全を見守ってきました。そして、老朽化による建て替えに伴い「デザイン灯台」として生まれ変わりました。この灯台のデザインは、第三管区海上保安部の「新デザイン募集」により集まった107点から「最優秀賞」に選ばれたもので、作品タイトルは「とんがり屋根の灯台」です。城ケ島を囲む碧い海と青い空に映える可愛い灯台です。
  • 城ヶ島公園花壇:公園の駐車場の真ん中辺りにある花壇は、砲台の台座を利用したものです。東京湾要塞地帯に指定されていた頃に据えつけられた砲台の跡です。
こんな美しい城ケ島ですが、東京湾に面していることから第二次世界大戦までは要塞地帯として重要な役割を担い、今でも県立城ケ島公園の地下には当時の砲台施設が残っています(通常、見学はできません)。公園駐車場の花壇は気づきにくいですが、砲台の台座を利用したものです。

火炎構造:城ケ島の西側の長津呂辺りには珍しい地層があり、白い火山灰層が燃える炎のようになった「火炎構造」を見ることができます。

また、城ケ島は知る人ぞ知る珍しい地層の宝庫なのです。城ケ島は遥か南の深海で形成され、約8万年前に海中から顔を出し、波に削られて、現在の姿になっています。馬の背洞門や多くの断層、曲がりくねったスランプ構造、炎のように見える火炎構造等、いずれも大地を動かす底知れない力と悠久の時を感じさせてくれる景色です。

記事提供:みうらガイド協会

(記事公開日:2020/11/17)

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