弥生時代の謎を解明⁉神崎遺跡【歴旅コラム】
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神崎遺跡 国指定史跡(神崎遺跡資料館)
神崎遺跡は今から約1800年前の弥生時代後期の環濠集落です。環濠集落とは弥生時代特有の周囲に深い溝を巡らしたムラのことです。また、この遺跡は海老名市、綾瀬市および藤沢市を流れる目久尻川沿いの、標高24mの台地上に立地しています。
これまでの調査から神崎遺跡は南北103m、東西65mの楕円形をした約5000平方メートルの集落であることが明らかになりました。集落を囲う環濠は、断面がV字形で幅と深さはそれぞれ約2mです。その環濠の内側には18軒の住居跡が確認されていますが、15軒前後の住居が同時に存在したのではないかと考えられています。
神崎遺跡から出土した土器の95%以上が、現在の東海地方( 静岡県西部から愛知県東部にかけての地域)からの出土品の形態に類似していただけではなく、住居跡の形などにも東海地方との共通性があり、文物、情報の総合的な影響が認められるものでした。
発見当初から神崎遺跡に関わってこられた立花実氏(伊勢原市教育委員会)は歴史講演会にて、関東における弥生文化の研究は、西に比べ混沌とした時代があり、特に、神奈川西部の土器研究において、①中期後半と後期前半の土器の型式学的不連続、②遺跡ごとの土器様相の違い、という「二つの謎」があり、この謎を解くのに20年かかり、解くきっかけとなったのが「神崎遺跡」でした、と評価しています。
発見当初から神崎遺跡に関わってこられた立花実氏(伊勢原市教育委員会)は歴史講演会にて、関東における弥生文化の研究は、西に比べ混沌とした時代があり、特に、神奈川西部の土器研究において、①中期後半と後期前半の土器の型式学的不連続、②遺跡ごとの土器様相の違い、という「二つの謎」があり、この謎を解くのに20年かかり、解くきっかけとなったのが「神崎遺跡」でした、と評価しています。
「二つの謎」の答えは、東海西部系土器がそのままの形で移入されたことでした。東海地方の人々が集団で直線距離200km以上になる道のりを船で移住したと推測されています。
なお、環濠集落全体が残っているのは全国的に見ても珍しい例です。これらの特徴が評価され、平成23年(2011年)には国指定史跡になりました。
なお、環濠集落全体が残っているのは全国的に見ても珍しい例です。これらの特徴が評価され、平成23年(2011年)には国指定史跡になりました。
平成29年(2017年)より年1回環濠公開および環濠の説明会が実施されております。令和2年(2020年)は11月1日(日)事前予約制で公開されます。
資料館2階のバルコニーから環濠が一望できます。神崎遺跡の歴史について学び、神崎遺跡公園、資料館で歴史や文化に触れてみませんか。
記事提供:綾瀬市史跡ガイドボランティアの会
(記事公開日:2020/11/17)