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歴史を秘めた権現山の桜【歴旅コラム】

歴史を秘めた権現山の桜【歴旅コラム】

幸ヶ谷公園の桜

  • 幸ヶ谷公園の桜
横浜駅近くに、桜の隠れた穴場スポットがあります。JR横浜駅北改札から歩いて10分足らず、京浜急行神奈川駅からは2~3分のところにある神奈川区幸ヶ谷(こうがや) 公園です。

このあたりはかつて権現山とよばれる急峻な山で、戦国時代初めの古戦場でもあったところです。その戦いは、伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が、扇ケ谷(おおぎがやつ)上杉氏領国への進出をもくろんで扇ヶ谷上杉重臣の上田政盛を寝返らせ、権現山城(砦)に拠よって挙兵させたが、上杉連合軍(関東管領山内上杉と扇ケ谷上杉)の2万とも伝える大軍に包囲され、10日におよぶ合戦ののち敗れたというものです。
  • 右に描かれているのが権現山 真ん中の家並みは神奈川宿(金川砂子より)
江戸時代には山のすぐ下を東海道が通っていました。急峻な山の様子は当時の絵図にも描かれています。

幕末に神奈川宿前面の海を埋立て、神奈川台場を築造するための土取場となり、山の高さが低くなったといわれています。

ところで、神奈川台場は品川台場にくらべると案外知られていませんが、勝海舟の設計により伊予松山藩が築造し、横浜開港の翌年(1860 年)に完成しました。当時は、海に突き出た八千坪の扇形の台場でしたが、周辺の埋立が進み、今は石垣の一部を残すのみです。
  • 幸ヶ谷公園
現在、権現山は標高22m位の小高い丘となっていて丘の頂上部が幸ヶ谷公園です。戦後、戦災復興土地区画整理のなかで公園として整備されたもので、広さは1万8千平方メートル(約5400坪)、100本の桜が植えられました。その後、近隣の人たちや、知る人ぞ知る人々が集う花見の場所として賑わうようになりました。

しかし、70年の時を経て、大木のソメイヨシノは幹が痛んだものが多くなり、2年前に一部の伐採や枝の剪定と同時に、ジンダイアケボノの若木の補植がおこなわれました。

そのため全盛期にくらべると大木が減って、以前のように桜の木々に包み込まれる感じは少なくなりましたが、小高い丘の上の広場のため閉塞感がなく、西側の山の麓にはJRと京浜急行の線路や国道1号線(京浜第二国道)が通っていますが、街の喧騒は感じられない空間です。
  • 右に権現山、左に本覚寺が見える 昔は尾根続きでした

公園からの眺めは、横浜駅周辺のビル群や横浜駅と行き交う電車、かっては権現山と尾根続きだった本覚寺などを望めます。本覚寺は鎌倉時代創建の古刹で、権現山の戦いにより一時は荒廃したと伝えます。横浜開港(1859年)に際してはアメリカ領事館が置かれました。

ここ幸ヶ谷公園は歴史を秘めた場所、眺めが良く、広々した丘の上の広場でゆっくり、のんびりお花見ができる“近場のおすすめ穴場スポット”です。

記事提供:NPO法人 神奈川区いまむかしガイドの会

(記事公開日:2020/12/18)

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