カレーライスまんま 湘南ひらつかで生まれた 「弦斎カレーパン」【歴旅コラム】
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ベストセラー作家 村井玄斎
平塚駅南口から徒歩7分ほどのところに、村井弦斎公園があります。明治・大正期に活躍したジャーナリスト、作家であり、美食家の村井弦斎の屋敷跡が公園となったもので、当時の屋敷は1万6千坪以上もあったそうです。
村井弦斎まつりポスター(提供:平塚市役所)
平成12年(2000年)には、平塚に暮らした戦前のベストセラー作家村井弦斎の業績や人となりを伝える行事として、「村井弦斎まつり」がこの公園を会場としてスタートしました。令和元年(2019年)には第20回目を迎えた村井玄斎まつりでしたが、令和2年(2020年)は、新型コロナウイルス感染防止のため見送りになりました。明治36年(1903年) 報知新聞に連載された『百道楽シリーズ』で好評だった、食道楽のレシピの再現でまちおこしを図る取り組みも始まり、弦斎カレーパンや弦斎どら焼きなど「弦斎」の名の付いた看板商品が続々と誕生しています。
村井弦斎
村井弦斎(本名・寛)は、江戸末期の文久3年(1863年)、愛知県豊橋市に生まれました。明治37年(1904年)から昭和2年(1927年)、65歳で死去するまでを、現在の平塚市八重咲町で過ごしています。生涯に60編を越える小説を書き、明治・大正期に「当世第一」とうたわれた超人気作家でした。また評論においても、時代を先取りした論説を展開していました。明治36年(1903年)、新聞連載の後出版された小説『食道楽』は、料理レシピだけでなく、材料の選び方やシステム的な台所の作り方、さらには衛生や栄養についても触れ、「嫁入り道具の必需品」として10万部を超えるベストセラーになりました。また和服のエプロンである割烹着の考案者は、多嘉子夫人と言われています。
「弦斎カレーパン」
弦斎カレーパン(写真提供:高久製パン)
この小説『食道楽』に出てくるレシピから、弦斎カレーとパンを融合させて開発されたのが高久製パンの「弦斎カレーパン」です。かりっと揚がった表面と、パン生地の中にお米を混ぜることでモチモチ感を増し、また具の中にはカレーに欠かせない福神漬けを入れることによって歯ごたえを良くしたカレーパンです。まさに歴史を背景に湘南平塚から発祥したカレーパンで、「まるでカレーライスを食べているみたい」と大人気のカレーパンです。
日本カレーパン協会開催の「カレーパングランプリ2018」では 、東日本揚げカレーパン部門で最高金賞を受賞しています。
弦斎カレーパンで有名な平塚の「高久製パン」は、大正13年(1924年)に創業した老舗のパン製造会社で、 元々は学校給食のパン製造からスタートしたお店です。現在も、神奈川県学校給食指定工場として平塚周辺の小・中学校や高校の売店などにパンを卸しています 。
平成14年(2002年)から発売している「弦斎カレーパン」は、今では、年間35万個を売り上げる人気商品になっています。弦斎カレーパン以外にも工場直売ならではのアウトレットなパンが各種販売されています。
<JR東海道線平塚駅(北口)から線路沿いを約7分茅ヶ崎方面へ歩いた線路沿い>
記事提供:NPO法人 東海道ウォークガイドの会
(記事公開日:2021/2/26)