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小田原の“なりわい”文化の発信拠点2025年8月、耐震補修工事を経て小田原宿なりわい交流館がリニューアルオープンします。
小田原宿なりわい交流館は、かつて東海道の宿場町としてにぎわった小田原のまち並みにたたずむ文化拠点。建物は小田原の典型的な商家の造りである「出桁(だしげた)造り」の旧網問屋を再整備したもので、2022年には国の登録有形文化財にも指定されました。スタッフによる30分まち歩きが毎日開催され、東海道小田原宿の“なりわい”が息づく周辺地域の魅力や周辺のグルメスポット、物販店など小田原の魅力をたっぷり紹介します。 -
「足柄山の金太郎伝説」は、全国的に有名です。平安時代にこの地蔵堂地区にいた四万長者と呼ばれたお金持ちの娘が生んだ赤ちゃんが金太郎とされ、そのお屋敷跡が今でも金太郎の生家と伝わっています。さらに長者屋敷跡前の水田にある「たいこ石」「かぶと石」という巨石は、幼い金太郎がよじ登ったりして遊んだと云われ伝説とともに大切に残されています。
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ふじさわ宿商店会は、江戸時代に旧東海道の宿場町としてにぎわった藤沢宿周辺に、新たに誕生した商店会です。既存の活動にとらわれない宿場町としての町づくりにも力を入れています。
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雨岳文庫・山口家住宅は、平成10年に国登録有形文化財になった建物で、幕末には将軍側近の旗本間部家の代官所であり、明治期初めには自由民権運動の勉強会場に使用されました。二階は殿様の部屋に改造された関係で、数寄屋風の意匠が襖や建具に施されています。一階の奥の間は代官所跡で、間部氏の国許(くにもと)用人格(ようにんかく)の山口家に残る幕末史料や自由民権資料などが展示されています。隣接の畑は、春には梅の名所として、また菜の花畑としてもにぎわいます。※予約いただければ英語対応も可能。
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モース記念碑は、日本近代動物学発祥に尽力したエドワード・S・モースを記念して建てられた記念碑です。
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江戸時代は文字どおり大きな石橋があり、脇街道の「溝の口・二子宿」として繁栄していました。
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古墳の周溝は道路によって削られていますが、現状で直径17.5m、高さ3.7mの円墳です。橘樹神社の社伝によると、ヤマトタケルノミコトが東征のさいに、荒れる海に身を投じた后のオトタチバナヒメの衣と冠がこの地に流れつき、それをヒメの代わりとして、古墳に埋葬したと言われています。
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川崎市大山街道ふるさと館では、大山街道や高津地域にかかわる歴史・民俗などに関する資料を展示しています。展示室では企画展(年4~5回)または常設展を開催しています。
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丹沢の峠、いより峠にある不動明王は、以前は道標の役割があったと言われています。
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精進池近くにある元箱根石仏群の一部です。約700年前、鎌倉時代から室町時代前期にかけて数多くの石仏や石塔が造られました。これらの石仏・石塔の多くは、中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定されており、周辺一帯も同様に国の史跡に指定されています。(写真提供:photolibrary)
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能見堂は1661年~73年の間に領主であった久世大和守広之が再興した擲筆山地蔵院のことです。
元禄時代、中国からの渡来僧、心越禅師が故郷の景色を偲んで、ここから見た金沢八ヵ所の勝景を漢詩に詠んだのが金沢八景の始まりと言い伝えられています。 -
名所の多い宿場町として、江戸時代大いににぎわった大磯宿。約1.3kmの道筋に、66軒の旅籠と小島・尾上・石井の3つの本陣が置かれました。
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洋館と和館が一体となった近代和風住宅です。横浜市では、できる限り創建当時の姿に復元し「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として一般公開しています。平成14年11月には横浜市指定有形文化財として指定されました。
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源頼朝の妻、北条政子が瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられ、横浜金澤七福神の弁財天が祀られている。
シーサイドラインが見える隠れたビュースポットとしても人気。 -
東海道6番目の宿場町、「藤沢宿」近隣の境川にかかる橋。本陣跡周辺には数多くの寺社があり、また近代における蔵や店舗が残されている。
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善波峠は秦野市と伊勢原市の境にあります。東京都の赤坂御門から秦野を経て矢倉沢の関所を越え、静岡県沼津市にいたる矢倉沢往還が通っていました。
参勤交代でにぎわう東海道の脇街道で、物資の輸送や富士・大山への参詣路として、昭和初期に善波隧道が完成するまで、この峠道が利用されていました。 -
川尻石器時代遺跡は縄文時代中期から晩期にかけての集落跡です。様々な種類の遺物とともに敷石住居などの礫石を多用した遺構もあります。
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北条氏の四代・氏政と弟の氏照の墓所がある場所には、「幸せの鈴」を手に願掛けをする人が後を絶えません。幸せのパワーに満ちたスポットとして地元に知られています。(写真提供:photolibrary)
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旧東海道藤沢宿のにぎわいの拠点で、旧東海道6番目の宿場町であった藤沢の歴史や文化に触れ、人々が交流する場として2016年に開館しました。散策の際の休憩のほか、郷土資料の展示、藤沢宿のジオラマや当時の宿場を再現した3DCG体験できます。また、年間を通じて寄席などの催しをお楽しみいただけます。
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函嶺洞門は、関東大震災により崩壊した崖の直下に、落石から通行車両などを守るために築かれた道路施設であり、1931年完成しました。
本洞門は、自動車交通に対応した国内でも最初期の施設として、高度な鉄筋コンクリート技術を駆使して建設されたものです。国道1号の険路であった箱根路の近代化を象徴する施設として、2015年に国の重要文化財に指定されています。 -
作家で小田原出身の牧野信一の作品の一節が刻まれた石碑です。
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松田町の地域活性化や観光復興を目指し、江戸時代の農村改革の指導者として活躍した二宮尊徳の碑が設置されました。市民の憩いの場として賑わっています。
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平安時代後期の武将源義家(八幡太郎)が見つけ詞に詠んだ山桜があり、その後「江戸見桜」と称されています。その他子どもたちがターザンごっこをしたといわれる「ターザンの木」、川崎市の緑地になった「末長熊の森緑地」があります。
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小原宿本陣は、神奈川県下26軒あった本陣で現存する唯一の建造物で、定紋のついた敷居の高い玄関がある、純日本風の豪壮な建物です。平成8年2月13日、県重要文化財に指定されました。現在の建造物の建造年数は定かではありませんが、約200年経過しているものと思われます。
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約700 年前鎌倉時代終わりから室町時代前期にかけて、旅ゆく人々を救う仏として信仰された地蔵菩薩を祀る多くの石仏や石塔が造られました。国の重要文化財に指定されています。
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貝吹地蔵は、瑞泉寺裏山、天園ハイキングコース途中にございます。ハイキングコース入口よりお入り下さい。
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箱根旧街道は江戸時代の初めに江戸幕府が整備した東海道の一部で、箱根峠を挟んで箱根町側を東坂、三島市側を西坂と呼びました。西坂の石畳は1680年に敷かれたことが資料からわかっています。もともとは雨が降ると脛までつかる泥道となり、旅人たちを苦しめてきました。そのため石畳が敷かれる以前は自生する細竹(箱根竹)を敷いていました。この作業は奥伊豆地方の住民が税の一種として負担していたものの、竹は腐ってしまうため頻繁に敷き替えを行わなければならず、住民にとってはかなりの負担でした。この負担を軽減するため江戸幕府は石畳の工事を行いました。この石畳を歩きながら、この道を旅した当時の人たちに思いを馳せるのも楽しいかもしれませんね。
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早野にある戒翁寺近くの御堂山(おどやま)に造立されている、土地の人から「殿様の墓」といわれる石造五輪塔(ごりんとう)です。
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大正から昭和にかけ歌人・小説家として活躍した岡本かの子を記念し昭和37年に制作された《誇り》の台座には、「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれています。
また、かの子の業績を讃える亀井勝一郎の文を川端康成の書によって刻んだ碑もあります。 -
古墳時代の横穴墓群で、現在確認できるのは 5 基ほどです。
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昔車がなかった時代に住んでいた住民が往来していた道です。2~3時間程のハイキングで森林浴を楽しみたい人におすすめです。
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史跡田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)は全国的にも数少ない旧石器時代をテーマにした施設です。史跡田名向原遺跡は、発見された旧石器時代の住居状遺構から、人類の定住化の歴史を語る重要な遺跡として保存されており、平成11年1月に国の史跡指定を受けました。約2万年前の建物の跡がみられるのは、日本でここだけです。
また、旧石器ハテナ館では旧石器時代を中心に縄文土器や古墳の副葬品などを展示しており、野外展示では旧石器時代の住居状遺構、縄文時代の竪穴住居、古墳時代の小円墳が復元され、歴史や文化財について学ぶことができます。勾玉・土器・石器作りなどの体験事業を行っています。 -
戦国時代の終わりに豊臣秀吉との小田原合戦に備え北条氏が作らせた総構の一部で、豊臣軍の本陣と向かい合う重要な場所でした。二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられています。
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兄源頼朝の勘気を蒙った義経は、1189年に奥州衣川館で自害しました。首級は腰越で曝されたあと片瀬の浜に捨てられたが、泥にまみれたまま亀に背負われ境川をのぼり藤沢の里にたどり着きました。哀れに思った里人が井戸で首を洗い清め弔うため首塚を作ったと伝えられています。
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発掘調査により、今から約1700年前、弥生時代から古墳時代の過渡期に造られた古墳群であることがわかりました。南関東における出現期古墳のあり方およびその時期の社会を考える上で重要と評価され、平成17年7月に国史跡に指定されました。見学の際は歩きやすい靴でお越しください。
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旧東海道をややそれた「平塚の塚緑地」にある、「平塚の碑」です。一説では、ここが「平塚」の地名の由来の場所とされています。言い伝えによると、平政子という方がこの地で亡くなり、その柩を埋めて塚を作ったところ、塚の上が平らであったことから、里人がそれを「ひらつか」と呼び、これが地名となったといわれています。
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当麻は古くからの交通の要所で、昭和橋のたもとには、対岸の依知と結ぶ渡し船がありました。特に大山参りが盛んになってからは、当麻の渡しを利用する人が増え、当麻は宿場としてもにぎわいました。
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ガス灯は、1872(明治5)年に高島嘉右衛門の「日本ガス社中」により、馬車道・本町通り等に設置・点灯され、これが日本における最初のガス灯となりました。柱部は英国グラスゴー市から輸入し、灯具は日本人職人により製造されたと言われています。
1986(昭和61)年、横浜市市民文化会館「関内ホール」の新築完成を祝って当時の型をモデルとしたガス灯が復元設置されました。 -
源頼朝墓と伝わる石塔があり、かつて頼朝を弔った法華堂(墳墓堂)の跡地と推定されています。付近には北条義時を弔った法華堂の遺構も確認されており、合わせて国指定史跡に指定されています。
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箱根旧街道資料館の隣に位置し、江戸時代に創業以来13代続く茶屋です。自慢の品は、砂糖や添加物を一切使わない自家製甘酒。杵でつき、備長炭で焼いたお餅もとてもやわらかく美味です。天下の嶮(けん)・箱根を旅した往時の人々が味わったその伝統の味に、いまも変わらない茶屋のかやぶき屋根の佇まいが、美味しさを添えます。